きんたろうの掲示板

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沙石集を読む(四)・・・薬師観音の利益によって命全きこと  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 8月17日(日)00時56分52秒   返信・引用
  ブログからの転載です。


 当時の武士のあり方がわかる説話です。

 尾張国山田郡に右馬充明長という人がいた。承久の乱のときに京方(後鳥羽上皇側)に参戦して杭瀬川の戦いでおびただしい疵を負って、敵からも止めを刺されて、死んだものと思われて敵方は打ち捨てて京都へ向った。友達が二人いて戦場の近くで落ち延びていたが、夜に入ってから供養しようとして近寄ってみると、ひどい手負いでありながらまだ息があった。そこで肩に引っ掛けて青墓の北の山へ連れて行った。

 多くの疵の中で、喉笛を突き通されたのが一番重かった。「もう助からない、首を斬ってくれ」と明長は頼んだが、それはさすがにかわいそうだと友達は思って連れて歩いていたが、落ち武者狩りが始まり、明方も近くなったのでどうしようもなくなり、大きな木のうろに明長を隠して二人は落ち延びた。

 落ち武者狩りをしている武士は明長の血の痕を追ってそのあたりをうろついていたが、そのうち去ってしまった。その後で鎌倉から来たと言う黒衣を着た僧侶が、草の葉を揉んで食べさせてくれると、腹の中の血が下って明長の身体も軽くなり、気持ちも上向いてきた。

 その僧はいつの間にか消えていた。友達がまた来て、木の中より出した。明長は「僧侶に助けてもらって身体も軽くなった、故郷まで歩いて帰ろう」と言った。しかし、下津の川が増水していて進みかねているうちに、関東に帰参する武士に見咎められて捕縛されてしまった。

 戦死していたはずなのに捕まって恥をさらすのが口惜しく思えて明長は川に身を投げようとした。川岸に歩み寄ると、龍山寺から来たという僧が現れて、「死んではいけない、自害をしてはいけない」と声をかけてくれた。夢かと思ったが現実であった。

 しかし疵も痛むし暑くなってきた。耐え難くなってきたのでやはり身投げしようと川岸によると、また僧が縄を引いて「そんなことをしてはいけない」と制止したので思いとどまった。

 明長は熱田神宮の神官と顔見知りで、「神宮に寄付などして貢献してくれた人だから私達が預かろう」と助けようとしたが、鎌倉方は「それならば名のある人間だろうからなおさら逃がすわけにはいかない」といって許してくれなかった。そして鎌倉まで連行されて北条義時の前に引き出された、すぐに首を刎ねよとなって、湯井の濱(由比ガ浜)に連れて行かれた。

 するとまたあの僧が現れて「悲しむことはないぞ」と言ったが、これでもう最期だと観念して一心に念仏した。

 さて乱橋という橋の袂で、古くからの知音とすれ違い、「これはどうしたことだ」と馬をとめて声をかけてくれた。「杭瀬川で死んでいた身であるが、恥をさらすことになって、首を刎ねられるために濱へ向うところです。最期にお目にかかれて嬉しいです」と明長は言った(言葉遣いからすると明長の元上役で幕府の枢要と思われる)。

 「これは年来の知音である、相模殿(義時)へ頼んで処刑は預かってほしい。」とその武士は書付をくれて、義時の前で助命嘆願までしてくれたので命が助かり、疵の手当てまでしてくれて、故郷で天寿を全うした。喉笛の疵の生で声はしわがれていたという。孫が今も生きている。明長の養子となった人から聞いた話である。

 昔はこのような不思議なこともあったというが、末代の世にこのようなことに出会うとはありがたくめでたいことである。夢に出てくれるだけでもありがたいのに、現実に現れて助けてくれるとは、なんとも尊い利益である。

-------------------------------------------------

 登場人物の行動や心の動きは現代人にも理解しやすいものです。おそらく同郷人と思われる友達は危険な戦場にとどまって明長を助けようと尽力しますし、熱田神宮の神官も信者を助けようと鎌倉方に掛け合ってくれます。

 観音の化身が三度まで自害を制してくれますが、明長もそれに従っています。つまり最後の希望が潰えるまで生き延びるべきであると当時の武士も考えていたことがわかります。

 明長の元上役も、北条義時の機嫌を損ねる危険を冒してまで助命嘆願に付き合ってくれます。当時の人間付き合いが濃厚なものであったことがわかります。

 縁者に会って確かめた、喉の傷跡も残っていたと、無住も架空の話ではないことを強調しています。当時の人も無条件にこういう話を信じていたわけではないこともわかります。八百年前の人たちも、今の私達と同じようなことを考えて生きていたのでしょう。

http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/

 

いくつかの論文をまとめた本のようで  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 8月 3日(日)21時23分3秒   返信・引用  編集済
  hn2602さんこんばんは

章によって書いた時期にズレがあるようなのですが、巻末の参考文献の中で外国の文献で最新のものが2001年ですので、その頃までのの研究成果は反映されていると思います。

言語系統樹は2003年のR・D・グレイ(ニュージーランド)の成果が使用されています。

脱稿は2007年の11月だそうです。中央アジア〜インドの民族的起源を探るための学際的なプロジェクトを開きたいと、抱負を述べていました。続報が楽しみですね。

http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/

 

印欧語族の故地  投稿者:hn2602  投稿日:2008年 8月 3日(日)19時30分25秒   返信・引用
  については、黒海北部の草原地帯とする「戦士説」<クルガン仮説〉と、アナトリア高原の農耕民出自であるとする「農民説」があり、最近では、印欧共通基語の年代が従来の6000年前程度とする説から、8000年前以上約1万年前にも遡るという分子遺伝学や言語学の方面からの考え方から、農民説が、有力になっているようです。
 安部さんご紹介の本(実は昨日本屋をのぞいたのですが見つかりませんでした)は、恐らくレンフルーらの農民説に近い立場で書かれていると思いますが、何しろ、分子遺伝学の進歩は急速であり、ちょっと前のデータに基いた知見は、その後のデータでひっくり返される状態が続いています。
出来れば、ご紹介に本の、データが何時頃の知見を基にしているかわかれば、評価できそうな気もしますので、そのあたりを、チェックお願いできませんでしょうか?

 尚、ドラヴィダ語族は、インド亜大陸の原住民ではなく、イラン高原南部から、北西インドに入った言語集団であり、オリエント世界の孤立言語の一つエラム語と同系である可能性が高いとする仮説があり、「エラモ・ドラヴィダ語族」と称される事もあるようです。
 インド・アーリア語の北西インドへの侵入路については、中央アジア南部説と、イラン高原説がありますが、或いは、二波に分かれて双方とも通過したのかもしれません。
インド亜大陸のエラモ・ドラヴィダ語族以前の先住民としては、東方の南アジア語族(ムンダ語群)が考えられますが、それよりも、今は失われた語族〜語群に属していたらしいヴェッドイドの人々なのでしょう。

 エラモ・ドラヴィダ語族も印欧語族インド・イラン語派の双方とも、イラン高原を通過した集団だとすれば、南北インドのmtDNAなどが共通していても、それは、インド亜大陸ではなく、イラン高原での混血を示している可能性が高いように思います。
 

インド・アーリヤ人征服説は虚構である(二)  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 8月 1日(金)20時18分49秒   返信・引用  編集済
   以上のような証拠から、著者は、アーリヤ人インド征服説は虚構であろうと推測します。そして、インド・ヨーロッパ語族の故地は従来考えられていた南ロシアではなく中近東であり、乾燥地に適した牛と羊の牧畜と灌漑を組み合わせた農業を生み出した人々であろうといいます。

 東に広がっていった印欧語族は、ペルシャ、中央アジア、インダス峡谷で発展します。これは古代の都市の遺跡やメソポタミアに残る伝承から追うことができるそうです。やがて、本来の印欧語族の故地ではアフロ・アジア語を使うセム語族が支配的になったため、見かけ上は印欧語族の分布中心は南ロシア平原のごとく見えるようになってしまいました。

 インダス峡谷で高度な文明を発達させた印欧語族は、どこかの時点で従来の麦に加えて米を栽培する技術を手に入れて、それ以前からインドに居住していたドラヴィダ系と溶け合いながらインド文明を作り上げたのだろうと著者は推測しています。

 なぜ、印欧語族がインダスの地を捨てたのか(あるいは捨てざるを得なかったのか)と、麦中心から米中心の農業への変革が起きたのかは今後の研究課題とありました。

 米作を柱とした長江文明は、麦作を柱とした黄河文明よりも起源が古いことが考古学の研究から明らかになっています。ですので必ずしもインドの米文化の発明者として印欧語族を想定する必要はなく、インダス文明と同じかそれよりも長い歴史をもったドラヴィダ族による米作中心のガンジス文明を想定しても良いのではないかと私は考えます。この点は著者もまだ古い学説にとらわれているといえます。

 そして、通商路が衰退したか、あるいは灌漑の宿命である土壌の塩化により、インダス文明は農耕が困難になり、ガンジス川の方へ移動したのではないでしょうか。そこで、ドラヴィダ族の米作と出会い、麦・米・牧畜が融合した現代まで続くインド文明が生まれたと考えるべきではないか。

 ただ言語や体格などから判断するに、融合してできたインド文明では、かつてのインダス文明の担い手であった印欧語族の方が支配者側になったらしいことは否めないと思います。おそらく人間を組織的に動かす技術に長けていたのでしょう。武器を作る技術も進んでいたのかもしれません。けれども、南インドに行くとヴァルナは緩いですし、バラモンだからといって必ずしもコーカソイドの顔立ちをしてはいないようです。

 また、私はインドを旅行したときに「ネパール人か?」と何回か尋ねられましたので、北インドでも色々な人種がいるようです。印欧語族が支配的なのはガンジス川流域だけ、あるいは英国人が入ることができた都市部だけであって、全土に渡って隈無く調べれば、「印欧語族が支配層を締めているインド」などという概念は雲散霧消してしまうのではないか、とすら私は考えています。

http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/

 

インド・アーリヤ人征服説は虚構である(一)  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 7月31日(木)22時00分46秒   返信・引用  編集済
   この前の長崎旅行の帰りに買った「古代インド文明の謎」(堀晄著 吉川弘文館)がなかなか面白かった。

 著者は考古学や遺伝学の研究成果からアーリヤ人インド征服説に異を唱えています。アーリヤ人征服説は定説として扱われていますが、驚いたことに根拠はヴェーダにしかないそうです。あとは、各ヴァルナ(カースト)を構成する人に多い顔や肌の色から類推したに過ぎないのだとか。

 帯には「神話歴史観に引導を渡す」とありますが、私が読んだところ、アーリヤ人征服説は神話の解釈としても根拠が薄いと思いました。ヴェーダを素直に読んだところで、アーリヤ人が原住民を征服したという結論は出てこないと思います。やはりこれは鼻息荒かった白人が、インド支配を正統化するために作り出した妄想であるのでしょう。

 日本列島でも、江南や朝鮮半島から渡来してきたいわゆる弥生人は、それまで日本列島に多く住んでいた縄文人を、必ずしも滅ぼしたり支配下におきながら日本列島に広がったわけではなく、平地と山で棲み分けたり、場所によっては縄文土器と弥生式土器が混ざって出土したりしていますので、共存しあいながら融合していったのではないかと考えられています。文化の出会いは必ずしも征服や破壊に限ったわけではない。

 まず、ミトコンドリア遺伝子による分類では、北インド人(印欧語)と南インド人(ドラヴィダ語)の方が、北インド人とイラン人(印欧語)よりも近いという結果が出ています。北インド人と南インド人は、顔の造形はだいぶ違って見えるのですが、意外と遺伝的には近いといえます。

 インダス峡谷で出土する動物の骨を調べると、時代が下るにつれてガゼル(野生の牛)から羊や牛といった家畜が増えていくのが観察されます。これはインダス峡谷で農耕が始まって、草原が開拓されて耕地化されて野生生物が駆逐されたからです。そのままインダス文明まで出土する動物の骨の種の割合は連続的に変化しています。

 さてそのインダス文明の遺跡から出土する牛はコブ牛で、これは現在でもインドで飼育されている牛です。アーリヤ人インド征服説では、南ロシアを出発した牛を飼育するアーリヤ人が、乾燥地帯で一度牛を失い、インダス峡谷で再び牛を獲たという説明をしていますが(南ロシアで飼育されている牛はコブ牛ではないから)、これは著者が言うとおり牽強付会に過ぎます。むしろ、インダス文明は連続的に現代のインドまで受け継がれていると考える方がしっくりくる。

 ヴェーダで謳われている理想的な都市の区割りとインダス文明の都市の区割りとインダス文明が滅んだあとにガンジス川流域で広がったインド文明の都市の区割りには共通点が認められるそうです。

 ある民族が政治的・経済的な理由から、伝統とは全く異なる言語を使うようになることは珍しいことではありません。

http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/

 

律令時代の日本  投稿者:今井欣一  投稿日:2008年 7月28日(月)10時54分42秒   返信・引用
  初めてお便りします。私は地形図にのる地名を収集・分析して、縄文・弥生時代の地名を探索する『日本語の源流/地名考古学』というサイトを運営しています。このたび、『和名抄』にのる律令時代の591郡すべての起源地名を復元した第六巻を公開しました。ヤマト王権から『日本国誕生』を再現した、主に飛鳥時代後期の日本地図を御覧いただきたいと思います。

http://www.imaken.biz/

 

技術の断絶  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 7月16日(水)18時33分5秒   返信・引用
  材料の結合の方法とか、水止めとか、回転部の軸受け、あるいは冶金や鍛造なんていう技術はなかなか文字では残りにくく、技術者が消えると共に消えてしまうことが多いのではないかと思います。

だから二十年ごとに神殿や橋を造り直す伊勢神宮のやり方は技術の伝承には一番適した方法であるといえます。
 

東大寺の大修理  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 7月16日(水)18時26分48秒   返信・引用
  東大寺を鎌倉時代に修理したときには、畿内からは木材調達ができなくて、周防国から調達しています。昭和の大修理の時には遠く台湾から木材をもってきました。

舟用の木材は沿岸で調達しないといけないので、枯渇するのは早かったと思うんですよね。

>かなり頑丈に縛ってあるにもかかわらず、キーになる部分を引っ張ると、簡単に外れる縛り方があるのをご存じですか??

鷹つなぎ結び、もしくは鹿の子結びかもしれません。
昔捕まえた鳥や動物を縛っておくために使われていた結び方で、動物にはほどけませんが、ある部分を引っ張るとほどけるようにできています。
 

私説公開  投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年 7月16日(水)16時09分49秒   返信・引用
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

http://makoto-ishigaki.spaces.live.com

 

Re: 神功皇后の遠征と遣唐使船  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 7月15日(火)00時22分42秒   返信・引用  編集済
  > No.3463[元記事へ]

様々な理由によって、技術の伝承が出来なくて途切れてしまうという事象は幾つもあったと思います。

例えば、最近だと原子力発電所(処理施設??)もそうらしいですし、新幹線のような技術も作った事のある世代がいなくなったら、新たに作ろうとしても難しいとのことです。


>四世紀から五世紀までに、丸木船を作ったり宮殿を造ったり、水田を広げたりした結果、沿岸部の巨木が枯渇して

言われるように、材料不足によって大木を加工する技術の伝承が途絶えたというのは十分にあり得ることだと思いました。

大きく言えば、メソポタミア文明も燃料のために森林を燃やし尽くして現在のような砂漠にしてしまったらしいですから、文明の工房や遷都も同様の理由で起こりえるように思いました。
 

Re: 男結び  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 7月15日(火)00時12分27秒   返信・引用
  > No.3462[元記事へ]

軽トラなどに載せた荷物を縛る時に、かなり頑丈に縛ってあるにもかかわらず、キーになる部分を引っ張ると、簡単に外れる縛り方があるのをご存じですか??

これは、土建屋さん達がよくしている縛り方ですが、手品で使うひもの縛り方に似ています。

男結びというのも、これに似たものなのかなと思いました。
 

神功皇后の遠征と遣唐使船  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 7月 6日(日)11時10分33秒   返信・引用
   「丸木船」を読んで思いついたのですが、古代の日本人は日本列島を朝鮮半島や江南を活発に行き来していて、時には大軍を送り込めるほどの力があったのに、五世紀末を最後にそのような活動はぱったりと途絶え、次に日本人自身が大陸との交流に直接乗り出すのは、遣隋使・遣唐使まで待たなくてはなりません。

 遣唐使船は構造も脆弱で、頻繁に難破しています。こんなヤワな力で遠征ができたとは思えません、造船技術と航海術が退化したとしか思えない。

 遣唐使船は板を組み合わせて造った船なので脆弱で壊れやすい舟でした。丸木船を無理矢理拡大して大きい船を造ろうとしたからこのような中途半端な船で東シナ海に出港せざるを得なかったわけですが、じつは十数メートルある巨大丸木船も日本海側とか江南では出土しているのです。どうして巨大丸木船で遣唐使船を作らなかったのか?

 つまりこういうことではないかと、四世紀から五世紀までに、丸木船を作ったり宮殿を造ったり、水田を広げたりした結果、沿岸部の巨木が枯渇して、玄界灘や東シナ海を大軍を乗せて渡ることができるような、巨大で丈夫な丸木船が作れなくなってしまったので、日本人の海上活動が一時的に途絶えたのではないでしょうか。
 

男結び  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 7月 5日(土)10時58分20秒   返信・引用
   「丸太船」に引き続き、同じく法政大学出版局の「ものと人間の文化史シリーズ」にある「結び」を呼んでいます。読んで字のごとく、日本の結び方の文化を研究した本です。

 昔はネジやテープはありませんでしたので、日常的なものの結束は紐で結んで行いました。「出雲國譲りの真相」の漫画を描いているうちに、昔のシーンを描くには結び方を知らないと無理だ、真結びとちょうちょう結びだけではみっともない、と思うようになり、この本を手に取りました。

まず手始めに男結びの練習をしてみたのですが、これは便利です。引っ張れば引っ張るほどきつく縛ることができます。昔は俵を縛るのに使われていたらしい。新聞や雑誌を縛るのにも最適です。ごく稀にゴミ出しで新聞を独特の縛り方をしている人がいて、しかも緩むことなくしっかりと縛れているので、なんだろうかとずっと不思議であったのですが、どうやらこれは男結びであったらしいです。

他にもわっかを途中で短縮する結び方、杭に巻き付ける縛り方など色々ありました。こういう技術はいったん手に覚えさせてしまえば忘れないので、どんどんマスターしていこうと思っています。
 

あると思います  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月23日(月)07時56分43秒   返信・引用  編集済
   木を刳り抜いたり、組み合わせたりする造船技術の方が、棒を組み合わせるのが主の建築技術よりも彫刻に近いですから。

 ちなみに私のご先祖様は船大工でした。船を造るかたわら、塩田の道具の修理もやっていたそうです。

 漁は船と網がないとできません。どちらも古代としては技術が必要とされる道具です。必然的に海洋民というのは技術者でないとやっていけないということになります。

 また、船を造るには木材が必要なので、山の近くでないと漁業はできないんですね。山間部に住む住民と円満な関係を持つ、もしくは自分で山林を所有し、管理する力がないと漁業はできません。

(ですので、例えば「福音書」でイエスはペテロなどの漁師を多数弟子に入れていますが、彼等は貧乏人ではなくて、立派な資産家であり技術者であったのです。これは古代地中海史の研究者も言っています。また神武天皇は漁民と繋がりが深い天皇ですが、これは古代の天皇家の周囲に富と技術が集積していたことを意味します。)

 "舟"というのを間に入れると、漁業というのは大変に広がりを持った、農業に勝るとも劣らない高度な生活手段であったことがわかると思います。

 それに農業以上に一糸乱れぬ集団作業が必要とされる生活ですので、おそらく軍事集団としても優秀であったはずです。だから海賊は強いんですね。エジプトを襲った海の民とかヴァイキングとか、倭寇にしてもインドシナ難民のようなうらぶれた姿を想像してはいけないと思います。
 

Re: 丸木船の話の続き  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 6月23日(月)01時36分15秒   返信・引用
  > No.3458[元記事へ]

仏像も一木造りとか寄せ木造りがありますが、どこかで技術が関係しているのかな??とふと思いました、(^^ゞ
 

Re: 漫画のサンプル版を作りました  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 6月23日(月)01時29分13秒   返信・引用
  > No.3457[元記事へ]

サンプルのダウンロードはクリックするだけですから簡単に出来ます。

PDFファイルというのは、何でも可能のファイルなんですね!!
 

丸木船の話の続き  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月16日(月)23時08分55秒   返信・引用
   出雲、琵琶湖、浜名湖、諏訪湖の丸木船は共通の部分が多いそうです。

 若狭湾以東は、同じ日本海側でも、出雲とは違う構造らしいです。面白いですね。
 

漫画のサンプル版を作りました  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月13日(金)00時40分36秒   返信・引用
  少しでも読者を広げようと思い、サンプル版を作りました。
ダウンロードしてご覧下さい。

PDFファイル3.3MBあります。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/idumo_01sample.pdf
 

そうですね  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月12日(木)22時04分7秒   返信・引用
   4時間も同じ場所に座っているなんて耐えられないと思っていたのですが、あっという間でした。後半は手伝いに来てくれた友人とおしゃべりをしていましたが。

 もうちょっと色々なタイプの絵があっても良いと思うのですが、見事なほどに全員絵柄が同じでした(^^;自己表現のためにやっているはずの漫画でこうまで画一化が進むのはなぜなんだろうか?皆さん職業漫画家じゃなくて、アマチュアなんだからもっと自分が描きたい絵を描きましょうよ。
 

お疲れ様でした、(^-^)  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 6月11日(水)01時10分30秒   返信・引用
  コミックワールドに参加されて、得たものが多かったようですね!!

初めて参加されたわけですから、慣れてきたと思ったら「お昼になってしまった」ような感じがあったのかなと思います。

応援していますよ。!!
 

hnさん  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月10日(火)17時53分49秒   返信・引用  編集済
   ありがとうございます。

 どうも小説を読んだことがない人にはわかりにくい、という声が多いのでサンプル版を作っていますのでそれも付けますね。

 今姫路の在庫(笑)が払拭していて、こっちから一旦ロトさんのところへ送りますので少々時間がかかると思いますが、ご了承下さい。
 

hnさん  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年 6月10日(火)07時23分10秒   返信・引用
  ありがとうございます(^^ゞ

口座は同じで結構です。詳細はメールでお伝えくださいませ。
 

コミック1冊と桜小径を  投稿者:hn2602  投稿日:2008年 6月 9日(月)23時41分11秒   返信・引用
  注文したいのですが、コミックの支払い先の口座でも良いのですか?  

結果報告  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月 8日(日)22時48分53秒   返信・引用
  ジャンルが違ったのもあり、友人に売れた以外は残念ながら売れませんでした。

けれども収穫もありました。漫画を描くガッツが湧いてきましたね。

大宮まで来てくださった方、ありがとうございました。
 

ちょ〜〜っとまったあ!  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月 7日(土)23時59分38秒   返信・引用  編集済
  コミックワールド大宮は明日の6月8日(日)です。まだ終わっていません(^ ^;

大宮駅近くの大宮ソニックシティで開催します。場所は第1・2展示場のB27です。
西口からパレスホテル大宮、もしくはソニックシティビルに向かって歩いて五分くらいです。

先着十名様にはパレ杵屋の桜小径をプレゼントいたします。
 

昨日は  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 6月 7日(土)22時54分14秒   返信・引用
  東京ビッグサイトで開かれていた「環境展」に行ってきました。

久し振りに「ゆりかもめ」に乗りました、^^;;

ビッグサイトと言えば、夏秋に最大規模のコミケットが開かれる場所でもありましたね。

今日は、安部さんの参加された「さいたま新都心」で開かれたコミケットの日でしたね、(^-^)
 

逆櫨論争  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月 6日(金)07時41分31秒   返信・引用
   「丸木船」を読んでいたら面白いことが書いてありました。櫨というのは長江流域から日本の本州・九州・四国で主流の推進方法で、北海道と東北北部では舟には櫨がついていなくて、櫂が推進方法の主流であるそうです。

 それで、北海道と東北北部の舟は両端が尖っていて、どちらにも進めるようになっているのが多いのだとか。

 この傾向は時代が遡るほど強まったはずですので、ということは源義経は櫨を見たことがなかった可能性があるのではないかと。少なくとも成長してから見た舟は櫨がついていなくて両端が尖った舟ばかりのはずです。

 義経と梶原の逆櫨論争は文化摩擦だった可能性があります。義経は櫨でも櫂と同様にバックができると純粋に勘違いしていたのではないでしょうか?
 

久々に歴史の話など  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 6月 3日(火)22時22分25秒   返信・引用
   漫画の第二話の資料として丸木船の本を読んでいるのですが、なかなか面白いです。

 かなり頑丈で、安定しているらしいし、帆がなくても櫂だけでも結構スピードが出るらしい。日本列島を中心に北はアリューシャンから南はフィリピンまで製法や構造に共通のものがあるとか。大きいものは長さ15mにもなったそうです。

 10数mの丸木船が二千年前の地層から出土しているらしいです。また、舷側に板をつなげて舟を大型化する技術もできていたそうです。海を使用した交流も数千年前からかなり活発であったのではなかろうかと思いました。
 

ありがとうございます  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 5月31日(土)15時27分47秒   返信・引用  編集済
  里のほのぼのとした雰囲気を出そうと頑張ったページです。なんとか伝わりましたでしょうか。

夏の有明のコミケはもう〆切が過ぎてしまいましたが、冬には挑戦したいと思っています。その時は少なくとも第二巻までは完成させて乗り込みたいですね。

コミケ以外にも、首都圏で開かれるオールジャンルの同人誌販売イベントを回って売ろうと思っています。値段は宣伝の意味も込めて他の同人誌よりは低めに設定しています。同人誌で小遣い稼ぎができるほど名前はないですからね(^^;

でも印刷費は回収しています。漫画の制作費を入れると大赤字ですが(笑)
 

ページを  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 5月31日(土)14時08分10秒   返信・引用  編集済
  めくったところ。

この少女がナルメちゃん、かわいいですね(^-^)
クリックで拡大
 

写真にとってみました  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 5月31日(土)14時04分56秒   返信・引用  編集済
  こんな感じですね、v(^o^)

画像を入れたのは初めてですが、とても良く出来ているのが分かるといいのですが??


コミケット全体でも、この出来映えで800円というのは、まず無いように思いました。
私の近くにコミケットに詳しいのがいるので、上の意見は間違いありません。
クリックで拡大
 

ナルメ  投稿者:べっちゃん@ほろ酔い  投稿日:2008年 5月31日(土)00時03分34秒   返信・引用  編集済
  あれは私が全身全霊を傾けたキャラクターですので、その感想は大変に嬉しいです。  

かなり短縮してしまいましたから・・・  投稿者:べっちゃん@ほろ酔い  投稿日:2008年 5月30日(金)23時57分12秒   返信・引用  編集済
  元が80ページの漫画を32ページまで縮めましたので、わかりにくい部分があるのかもしれません。

本来ならロトさんがおっしゃるように、子供達の平和な生活描写を入れた方が、それが壊される部分が劇的になったろうと思います。物語の組立は大事ですね。

第二話の参考にいたします、感想をくださった方にはお礼を言ってください。感想が来ると嬉しいですね、やっぱり。出版して良かったと思います。
 

感想が何件か・・・  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年 5月30日(金)23時27分33秒   返信・引用
  「ナルメちゃんがかわいい」という感想が寄せられました(^^ゞ

うちの店の漫画のコーナーにもおいてあるのですが、常連さんから「ちょっと難しい」
という反応がありました。私は原作者として話の背景というものを知って読んでますが、
そうでない人たちにとっては難しいかもしれません。

あとから思ったのですが、導入部として第一話の前半はもっと子供たち楽しい日常をたくさん描いたらよかっですね。楽しい生活やふるさと、愛すべき人たちの命が侵略者によって奪われる。という場面をもう少し長いページを費やして子供たちの性格付けというかキャラ付けをみせてから物語を始めればよかったかもしれません。

二話以降はこの点を考えて、子供たちの会話を通して世界観をじょじょに見せていく方がよいかもしれません。ヒトマロたちとこれから登場する人物をどうつなげていくか安部さんの腕のみせどころですね(^^ゞ
 

ありがとうございます  投稿者:べっちゃん@ほろ酔い  投稿日:2008年 5月30日(金)21時29分56秒   返信・引用
  なかなか良い装帳でしょ(笑)

冗談はともかく、印刷を頼んだ会社は同人誌の印刷会社としては実績の長いしっかりとした会社です。私も、あの価格でここまでやってくれたことに驚いています。

やはり本としてしっかりしていないと、ロトさんときんたろうさんの素晴らしい原稿も読者になかなか伝わりません。内容が大事とは言えども、まず手にとってもらえなければどうにもならないわけで、その「手にとってもらう」という第1段階は、ポプルスのおかげでなんとかクリアできたかなと思っています。

というわけで、6月8日に大宮のソニックシティーで販売しますので、御用とお急ぎのないかたはおいでください。

通信販売は、私は慣れていませんのでまだやらないつもりです。ロトさんは、お菓子の方で実績がありますので、送料など少し割高になってしまいますが、大宮まで来るのは難しいという方はロトさんの方からご購入するようお願いします。
 

届きました!!  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 5月30日(金)02時19分3秒   返信・引用
  お手数をおかけしました。

届きました。

想像していた以上に立派な「本」だったのには驚きました。
感激しました。

詳細については、勇者ロトさんのページをご覧になって下さい。
800円です、v(^o^)
 

発送しました  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 5月27日(火)21時36分27秒   返信・引用
   東京と茨城ですから明日には届くんじゃないかと思います。  

おめでとうございます!!  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 5月25日(日)01時58分35秒   返信・引用
  安部さん、勇者ロトさん、おめでとうございます。

住所は今、お送りしました。

お手数をおかけします。

楽しみにしていますね。
正に「多才」で素晴らしいです。^^
 

宣伝ありがとうございます  投稿者:べっちゃん(安部奈亮)  投稿日:2008年 5月24日(土)16時56分27秒   返信・引用
   皆様お久しぶりです。

 というわけで同人誌を作ってしまいました<(^^;)
 御用とお急ぎでない方は大宮までおいで下さい。

 きんたろうさんにもお送りしたのですが、住所を間違えてしまったらしく、返送されてきました。すみませんがメールでもう一度住所を教えてください。
 

いよいよ発売です  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年 5月24日(土)12時52分54秒   返信・引用
  漫画版『国譲りの真相』がいよいよ発売です(^^ゞ

詳細は下記をどうぞ(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/221.html

 

Minstrelさん  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年 5月10日(土)09時14分37秒   返信・引用
  おひさしぶりです(^^ゞ

もちろん覚えていますよ(^^ゞ
入学式のときにも、別の方の方からベランダ事件の話がでました(^^ゞ
あのときから考えると成長したなぁと改めて思います。

成長した分ごまかしが効かなくなり下手な約束はできなくなりました(自爆)

徒歩で登校するのにまだまだ慣れないらしく、学校そのものより「徒歩通学」がいやなようです。Minstrelさんちのお兄ちゃんはすぐ慣れましたか?

最近の学校は「不審者」というのにかなり敏感なようで、ちょっと見知らぬ人が学校の
近くをうろうろしているだけで不審者情報が流れてくるのに驚きました。地域の大人と
学校が連携してそういった情報を共有できるようにしているようです。
 

IF話しは難しい  投稿者:Minstrel  投稿日:2008年 5月 9日(金)23時50分11秒   返信・引用
  超ご無沙汰しております。

歴史のIF話しって難しいんだなと思います。(私も好きですが、実際にIF話しをすると叩かれることが多い)

IFなんだから、史実とは違うのは当然だし、つきつめれば必ず破綻するのも当然なんです。

「信長が本能寺で死ななかったら」と言って叩かれたことがありましたが、つきつめれば必ずおかしなIFだとなります。
それはそうです。だって、信長は実際死んだんですから。

「信長が南方へ向かったら」だってつきつめれば必ずおかしいということになる。
それはそうです。だって実際は向かっていなんですから。

IFをつつけば最後は必ず「史実と合わない」という結論になってしまう。
でもそれは当然なんですよね。史実と違うことを話すのがIFなんですから。
どこかで史実から飛躍しないとIF話しは出来ない。その飛躍部分をつつかれたらどうにもならない。

以前どなたかに「本能寺で死ななかったら」というIFを立てる時点でおかしいと言われました。
自分の部下のコントロールさえ満足に出来ていないのだから、殺されたのは必然だ、というニュアンスだったと思います。
指摘されている意味は分かりますが、それでも「死ななかったらどうなったんだろうな」という興味は尽きないんですよね。。。

私の歴史認識や知識のレベルが低いという部分もあるでしょうが、そういう素朴でナンセンスな疑問を考えるのって
結構楽しいんですよね。子供の頃、よく空想の世界に浸っていたものです。

しょせんIFなんて歴史を題材にした遊びですから、あんまり強烈につつかれてもねぇという気がします。
自分の知らないことを指摘してくれる場合は勉強になるから大いにタメになるのですが・・・。
掲示板の運営も難しいです。

ロトさんのところのお子さんももう小学生ですか。早いですね。
ママがベランダに閉じ込められた話しが昨日のことのようです。(覚えてますか?)

私のところは昨年に娘が出来、上2人の男の子は小学2年生と年長さんです。
昔、邪馬台国の話しをしていた頃は、同世代の子を持つ親になるとは思いもしませんでした。^_^
(きんたろうさん、関係ない話しですみません)
 

なんとか元気です  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年 5月 3日(土)16時48分11秒   返信・引用
  おひさしぶりです。
子どもが小学校に入学し、一気に生活習慣が変化しました。
やっと慣れてきたと思ったらGWです(^^ゞ

出雲大社にはできれば今年中に行ってみたいと思っているのですが。。。。

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/

 

Re: 出雲大社  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 4月30日(水)01時04分24秒   返信・引用  編集済
  > No.3426[元記事へ]

勇者ロトさんへのお返事です。

お久しぶりですね。
お元気ですか??

確かに数年前に出雲大社にお参りした時に、「相当古いなぁ」と感じたものです。
その時の印象を思い出すと、遷宮について「なるほど」という感じです。

姫路城も、駅からぶらぶらと歩いて行ったことを思い出しました、(^^ゞ

ところで、数日前に(本当に)久し振りに、仙台へ行ってきました。
急ぎだったので、ちょっとの時間しかいられませんでしたが。。。
 

お世話になりました  投稿者:輔住  投稿日:2008年 4月22日(火)18時34分13秒   返信・引用
  これがこの板での最後の書き込みになると思います。

ケンカ別れみたいになってしまい残念ですが、反対意見者への対応と主張を受け入れられません。

今までの厚遇には心から感謝しています。ありがとうございました。
 

出雲大社  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年 4月22日(火)11時45分24秒   返信・引用
  出雲大社で遷宮が行われるそうです。

昨日まで全く気がつきませんでした(^^ゞ
詳細は下記をどうぞ。

http://www.izumooyashiro.or.jp/sengu.top.html

姫路では、今「全国菓子博覧会」が開催されており、
連日数万人の来場があるそうです。

姫路城の天守閣も来年から大修理がはじまり、幕が張り巡らされ
見えなくなるようです。5年かかるということで白鷺城の雄姿も
しばらく見ることができなくなるということです。

姫路駅の周辺地区は菓子博と姫路城見学でGWは大混雑が予想されています(^^ゞ

http://www.vzhyogo.com/~sakurakomichi/

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/

 

横レス  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 4月22日(火)08時51分36秒   返信・引用  編集済
  ではなく、面白い話でも書き込んでください。

そちらの方なら歓迎します。

ただし、反応してレスを入れるかどうかは別問題。
 

あともう1つ  投稿者:輔住  投稿日:2008年 4月22日(火)08時09分27秒   返信・引用
  他人の意見に隷属しろとはいいません。

でも回答に質問するな、プライベートでの八つ当たり、反則、かまって君、
事前にメールを、自分のページで発表しろ、自分の板でやれ、では、
人の話を最初から聞く気が全くないと判断します。

もったいないと思いますよ。
 

掲示板の性質はご存知ですか?  投稿者:輔住  投稿日:2008年 4月22日(火)04時17分57秒   返信・引用
  本当に今のきんたろうさんは、人の意見聞く気はないんですね。

自分は他人の読解力とかプライベートでの八つ当たりとか言っておいて、
自分が言われたら恨み節やかまって君扱いですか?

別に今さらここで司馬氏の話なんかいいですよ。

でもいつでも管理人好みの話題だけとは限りませんよ、掲示板は。
1対1の会話でもありません。世界中の人が見てるかもしれない場所だから横レスも入ります。

理論がしっかりしていれば横レスを恐れる必要もないでしょう。

ご多忙で大変みたいですが、管理人なら掲示板の性質は理解してください。
 

(無題)  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年 4月22日(火)01時39分24秒   返信・引用  編集済
  輔住さんの言い分は、子供が「遊んで、遊んでよ!!」と、だだをこねているようにしか感じられませんでした。

でも、遊んでと言われたら遊ばなければならない義務を負っているというのだ、と言うのであれば、凄い論理展開になってしまいますよね、笑

家臣でもないのに、まるで奴隷になれと言われても、(汗)って感じ。

もう少し謙虚になって下さいよ。
自分の好きな話題を思う存分語りたいなら、自分の掲示板ですればよいだけのことです。

それに、質問くんさんへのレスに対して、輔住さんがどうこう言うのはおかしいのでは??
そうは思いませんか??
内容がごじゃっぺ過ぎですから、文章もいい加減にしか読んでいないようですしね。
これが10年以上ものつきあいがある人の書き込みとは残念です。


はっきり言うと、(5年くらい前から)、リアルの世界でかなり忙しくてネットをする暇がありません。

それに、知ってるとおり多くの話題について既に語り尽くしている状況です。
ですから、限られた時間にもかかわらず反応する意欲をかき立てられるような、優先順位が高いものであると判断したものしか反応出来ないのは仕方がないと思っています。
今更ながら、という気持ちを吹き飛ばせるような内容を期待しているのですが、残念ながら。。。


>例えば司馬氏批判の話題になったらいきなり

批判をしたかったら、自分の掲示板で思う存分やればよいだけのことです。
恨み節をエンドレスで読まされるのはウンザリだという、他人の気持ちも分かって欲しいです。
 

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