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については、黒海北部の草原地帯とする「戦士説」<クルガン仮説〉と、アナトリア高原の農耕民出自であるとする「農民説」があり、最近では、印欧共通基語の年代が従来の6000年前程度とする説から、8000年前以上約1万年前にも遡るという分子遺伝学や言語学の方面からの考え方から、農民説が、有力になっているようです。
安部さんご紹介の本(実は昨日本屋をのぞいたのですが見つかりませんでした)は、恐らくレンフルーらの農民説に近い立場で書かれていると思いますが、何しろ、分子遺伝学の進歩は急速であり、ちょっと前のデータに基いた知見は、その後のデータでひっくり返される状態が続いています。
出来れば、ご紹介に本の、データが何時頃の知見を基にしているかわかれば、評価できそうな気もしますので、そのあたりを、チェックお願いできませんでしょうか?
尚、ドラヴィダ語族は、インド亜大陸の原住民ではなく、イラン高原南部から、北西インドに入った言語集団であり、オリエント世界の孤立言語の一つエラム語と同系である可能性が高いとする仮説があり、「エラモ・ドラヴィダ語族」と称される事もあるようです。
インド・アーリア語の北西インドへの侵入路については、中央アジア南部説と、イラン高原説がありますが、或いは、二波に分かれて双方とも通過したのかもしれません。
インド亜大陸のエラモ・ドラヴィダ語族以前の先住民としては、東方の南アジア語族(ムンダ語群)が考えられますが、それよりも、今は失われた語族〜語群に属していたらしいヴェッドイドの人々なのでしょう。
エラモ・ドラヴィダ語族も印欧語族インド・イラン語派の双方とも、イラン高原を通過した集団だとすれば、南北インドのmtDNAなどが共通していても、それは、インド亜大陸ではなく、イラン高原での混血を示している可能性が高いように思います。
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