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笠原水道と辰口用水は甲斐の国から流れてきた武田氏の技術者の末裔、永田茂右衛門、勘右衛門父子が当初設計者です。金山での排水の技術を用水建設に活用したのではないかと言われています。小学生の時に郷土史の名著「のびゆく日立」で習いました。
http://www.ktr.mlit.go.jp/hitachi/info/kouhou/k_hyakka_kuji/pdf/04_dai4syou.pdf
http://www.ktr.mlit.go.jp/hitachi/info/kouhou/vol25/02.html
http://kintaro2-2001.hp.infoseek.co.jp/abe1.htm
けれども、永田父子は笠原水道の工事がうまくいかなくて一度投獄されていますので、完成までもっていったのは讃岐の技師かもしれません。
常陸太田には条里制が敷かれていましたので、そのインフラを元にして、江戸時代に更に大規模な用水路を建設したのだと思います。
江戸時代のトンネル型の用水路の建設の方法として、非常に小さな水路に水を流しながら作ったという話を聞いたことがあります。東京都羽村市の郷土資料館(玉川上水の取水口がある)では夜間に提灯の明かりで土地の高さを測ったとありました。
玉川上水の標高差は水平距離約50kmで100mです。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/
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