|
|
とりで【砦】
取出、取手、塞とも。軍事的な目的のために築かれた小規模で簡便な城。敵の領国との境目や、戦場の最前線の拠点として築いた城を指し、敵城を攻めるための付城をさすこともある。取出と書くときには、敵の勢力圏内へ侵入した状態を指すこともある。
さく【柵】
(1)「き」とも。城柵とも。七世紀以降律令政府が東北の蝦夷を治めるために築いた行政施設。柵や築地で囲まれ、櫓を要所に備えるなど、一定の防御機能を持った。
(2)十一世紀後半に、安倍氏・清原氏などの東北地方の豪族が築いた城郭。
しろ→城郭 堀や土塁・石垣などにより、外敵の攻撃を防いだ施設
どうやら、"とりで"と"さく"は古代からの防御・攻撃の施設を表す用語で、"しろ"は近世になってからその手の施設を総称するのに使われるようになった用語のようです。ちなみに中世は「館」でした。確か多賀城の当時の呼び名はあくまで「鎮守府」で城は付かなかったと思います。
「春秋」では「城」という文字は建設工事を表す動詞的な語として出てきます(漢語には動詞と名詞の区別がないけど(^^;)。伝統的に「きづく」と訓読みします。元々は町の内側の権力者が住む区画のことを指す言葉らしいです(外側の壁は「郭」)。
即ち「城下の誓い」とは、城邑の外側の壁を突破されて、国民は全て占領下におかれて亡国となり、亡国の君主が宮殿から出てきて、門の前で結ばされる条約と言うことになります(宮殿まで占領されたら社稷が破壊されるから完全な滅亡)。なんとなくまだ「しろ」が保たれているような印象を受けてしまいますが、違うんですね、敵が城まで来ているというのは、城壁は完全に突破されている、要するに完全に敗北している、無条件降伏に等しいわけです。
日本語の「しろ」の元々の意味は「白」「代」と同じで「広い空間」です。いつしか壁や堀で囲まれた防御施設のことも「しろ」と呼ぶようになったようです。これは城という字が元々支那では城郭の内部の空間のことを指していたこととも符合します。漢字の訓は、春秋以前の古い漢字の意味にぴったり合わせていますので、古代人は「しろ」を防御施設ではなくて「区画された広い空間」の意味で使っていたのだと思われます。
だから「平城京」となるわけですね。平野の中に壁で囲んで作った都という意味になります。「なら」は大和言葉では「平らな土地」という意味ですし、朝鮮では「くに」を表す言葉ですから、国際色豊かであった当時の大和盆地にできた計画都市に当てる漢字としてはぴったりというわけです。「平城」という当て字を考えた人はかなり頭がいいと思います。
第三話のペン入れが終了しました。パソコンに取り込んでネームを付ける作業に入ります。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/
|
|