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ウィキぺディアからの引用

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 9月 6日(木)21時14分34秒
返信・引用 編集済
  実際にはY染色体の変異は比較的頻繁に起きていることがわかっている。

ついでに「乗り換え」という項目も見てみたのですが、

厳密には愛子内親王には男系天皇の遺伝子が伝わっている部分があると考えたら間違いになりますでしょうか?
 

hn2602 さん

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 9月 6日(木)21時10分42秒
返信・引用
  男性の持つY染色体はかつて、その大きさや遺伝子の位置などがX染色体と異なることから、減数分裂時の遺伝子の組み換えを起こさない、変異しづらい不活性なものとされてきた。しかし最近では、Y染色体においてもX染色体との交叉による乗り換えが起こっていると考えられている。  

輔住さん

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 9月 3日(月)20時19分24秒
返信・引用 編集済
  全くその通りです。
その事はもう解決したのですが、私がふと感じた仮説?を考えて見たのでした。
全ての男系天皇に存在する遺伝子について。推古天皇等も含めて。
いや、妄想です(苦笑)
 

横レス

 投稿者:輔住  投稿日:2007年 9月 3日(月)18時34分59秒
返信・引用 編集済
  菊池さん
>愛子内親王が仮に即位したら男系天皇になるという事をどうしても納得出来ない人がいたので。

失礼ながら、それで遺伝子どうのこうのいっても、多分その人はもっと混乱すると思います。
お父さんが皇族の血を引いているから、男系の天皇になります。
その次に愛子さまの子供が即位したら、お母さんの系統が皇族だから、
女系の天皇になりますと説明した方がいいと思います。
 

ありがとうございます

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 9月 3日(月)06時44分2秒
返信・引用 編集済
  >持ち込んだ遺伝子によっては、娘に通常ありえないY染色体上にのみ見られるはずの遺伝子が存在する…


愛子内親王が仮に即位したら男系天皇になるという事をどうしても納得出来ない人がいたので。

ふと神武天皇の遺伝子は愛子様にも伝わっているのかな?と思いましてね。
 

菊池さん

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 9月 2日(日)23時50分0秒
返信・引用
  Y染色体は、減数分裂時にX染色体と対になるように、本来X染色体の退化形とも考えられます。
そのためもあり、Y染色体の先端部には、偽常染色体領域(Pseudoautosomal region、略して、PAR)という場所が、長腕・短腕それぞれに存在します。

で、減数分裂時に(父親の精巣内で)X精子とY精子が作られますが、常染色体の分裂と同様に、このPAR部分の交換(組み換え)が、x染色体の対応部との間で行われますが、このとき、ついでに隣接する性染色体の特有部分を一緒に組み替えて、新しいXあるいはY精子(のもとの細胞)に持ち込むことが在ります。

x精子であれば、卵子のx染色体と一緒になり、46XXつまり女性となるはずですが、持ち込んだ遺伝子によっては、娘に通常ありえないY染色体上にのみ見られるはずの遺伝子が存在するということになります。
ただ、実際には、PARの直ぐ傍には、SRY遺伝子(性決定遺伝子、男性であることを決定附ける遺伝子)が在りますので、このSRYを持ち込むことが多く、表現型としては、男性と皆なされることが多いのですが。
 

hn2602さん

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 9月 2日(日)15時52分15秒
返信・引用
  ミトコンドリアは女から女にしか継承しませんし、
Y染色体は父親から男にしか継承されませんが、
同じく父親からしか遺伝しないもので、男と女の子両方に遺伝継承する遺伝子情報ってありますのでしょうか?
 

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 8月28日(火)21時18分54秒
返信・引用
  は湿地帯に特に多く生息していますから、日本列島が葦で覆われた原っぱが一面に広がっていた時代から、日常生活に極めて身近な存在だったのではないでしょうか??

よく分からないのは、身近な存在だったものが、何故「主」として祭り上げられたのか??というステップアップ??した理由です、(^^ゞ
 

守り神としての蛇

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2007年 8月28日(火)13時08分42秒
返信・引用
  そういえば、うちはそんな古い家ではなかったのですが、蛇が住み着きました。
追い出そうとすると母親に「蛇は守り神だから追い出したらだめだ」と言われました。

そういう言い伝えとかがあるのでしょうね。日本中に広がってるのかな?

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/umikagura.shtml

 

小学生の頃は

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2007年 8月28日(火)12時40分53秒
返信・引用
  蛇を手づかみでもって振り回しながら下校したりしていましたが、今となっては触ることさえできません(^^ゞ

菊池さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです(^^ゞ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/umikagura.shtml

 

主のアオダイショウ

 投稿者:大介  投稿日:2007年 8月28日(火)10時41分39秒
返信・引用
  私の実家は能登ですが、子どもの頃、その家では、よく蛇が出ました。夜には天井裏を這いずる音がしましたし、時々天上から畳の上に落ちてきたりしました。祖父は、落ちてきたその蛇を「これは我が家の主だから、屋根裏に返す」と、つまみ上げ天井裏に上げていました。蛇もなれたもので、祖父に掴まれても暴れること無くされるがままでした。きっと、危害を加えられないことを知っていたのだと思います。
ある夏の日、その蛇が大きな梁からぶら下がり、鎌首を持ち上げているのを見つけたとき、祖父は「主様、お帰りください」と何度か呟くと、それを聞いた蛇が、梁を伝い屋根裏に帰っていくのを見ました。後で、「あの蛇は、人の言葉がわかるのだ」と言っていました。あるとき「あの蛇は何時からいるの」と祖父に聞くと「わしが子どもの頃からいて、大きさもあの頃と変わらない」と言っていました。あの当時の祖父が70歳ほどでしたから、蛇ってそんな長生きするんだ、と子ども心に驚いたのを思い出しました。
その蛇の姿も、今では、能登の実家では目にすることも無くなりました、主はどこに行ったのでしょうか?
 

自宅の中の

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 8月28日(火)00時05分18秒
返信・引用
  土間(片側に広い縁というか、板敷きがあり、そこに近所の人が何十人か来て)の中で石見神楽を見ていたのです。
私は、島根県のことは小学校低学年までしかいなかったこともあり、ほとんど覚えていませんが、さすがにヤマタノオロチが舞うのは覚えています。
 

自宅

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 8月27日(月)22時58分51秒
返信・引用
  の前にオロチが。。。
とまではいきませんが、蛇がとぐろを巻いているという風景はそれほど特異なものではなかったように思っています。
つい先日も、会社の人の自宅前に大きな青大将がいたので「ビックリした」、なんて会話をしたところでした、(^^ゞ

蛇(特に青大将??)が玄関先にいるとか、郵便受けにいるというのは縁起がいいと言われていますから。
とは言っても、自宅の玄関前で蛇が蜷局を巻いていたら、きっとビビってしまうと思います、笑

茅葺きとか藁葺きだった時代だと、梁が剥きだしだったわけですが、囲炉裏の上から蛇が頭の上に落ちてきたといった話しを聞きました。
 

菊池さん、おっしゃるとおり

 投稿者:輔住  投稿日:2007年 8月27日(月)22時31分6秒
返信・引用
  管理人は普通の投稿者にはもってない権利は持ってますよ。
でも、議論の意見まで管理人に沿ってなきゃいけないとは、思えません。
楽しむ気持ちは大事です。
また、こういう多くの人が見てる場所に書くことは、責任もでますが、
誤解を恐れず言えば、喜ばせるなどという義務は管理人にも投稿者にもないと思います。
 

とまぁ、

 投稿者:菊地元宏  投稿日:2007年 8月27日(月)20時09分59秒
返信・引用 編集済
  これ以上偉そうな事をいうのは止めます。私は何なのでしょう? 勝手な事をほざいていますね。きんたろうさん、輔住さん、皆さん、ごめんなさい。


出遅れましてすみませんが勇者ロトさん久しぶりでした。
 

全く関係ない話をしますが

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 8月27日(月)19時48分26秒
返信・引用 編集済
  訴える力を持っているのは感情の抑制された文章です(自戒をこめて)
そして自分自身を攻撃する文章は人を惹き付ける力を持ちます。

辟易感、愚痴、自慢、気の利かない弁解?は、例え正論でも真剣に読まれない可能性が高いです。
 

hp閉鎖権、投稿内容削除権

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 8月27日(月)19時25分51秒
返信・引用 編集済
  管理人はhp閉鎖権、投稿内容削除権を持っていますので、エチケットはどちらかといえば、投稿者よりも管理人の意思に沿うのが自然だと思いました。削除されないように。
別の所に行けば又別のエチケットがあるでしょう。

一定のエチケットというのは、判断は人それぞれだと思います。
 

菊池さんの言いたいことも

 投稿者:輔住  投稿日:2007年 8月27日(月)18時45分2秒
返信・引用
  わからないではないですが。

>管理人を喜ばせるという事も礼儀かと思います。

これが礼儀と言われれば、違う気がします。
意見を言うという意味では、管理人も他の投稿者も同じですから。
楽しんで見たいというもの、管理人・投稿者の区別はないでしょう。
一定のエチケットを守っていれば、問題はないように思います。
 

自宅まで

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2007年 8月24日(金)12時16分53秒
返信・引用
  自宅の土間にオロチがうずくまっているなんて凄い風景ですよね。
子供が見ると一生わすれないでしょうね(^^ゞ

巡業ですか。ということはそれを生業にしてた人たちもいたんでしょうね。

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/umikagura.shtml

 

烏〜ん、誤記・誤変換だらけで

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 8月24日(金)11時00分20秒
返信・引用
  読み難く、申し訳ありません。
なにしろパソコンを買い変えてから、キーボードの文字をきちんと拾ってくれなくて、漢字変換するものですから、ワケがわからない文章になることが多いのですで、3回ぐらい書き直して、書き込むのですが、疲れると見落としが増え、そのまま、投稿するので、どうしてもミスが残って島のです。
 

私の見た石見神楽は

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 8月24日(金)10時52分28秒
返信・引用
  ドサまわりというか、田舎の村々を、巡業していたようです。
田舎の村では、神楽を見る場祖も余り無く、庄屋筋だった我が家の玄関和入った土間というか、タタキというかで、大蛇が俟っていたのを、その土間に面した板の廊下に近所の人も集まってみていたのを覚えています。

過疎化といえば、父が大阪に出たことによって、当時の村は「無医村」になりました。過疎間拍車をかけたわけですが、昭和20年代後半のことですから、まだ、田舎への疎開組が、都会(都市という言葉は余り使用されなかった)に流出する流れ(回帰)ということだったと思います。

ご挨拶が遅れましたが、掲示板はいつもチェックしていますが、どうもブログにはなじめず、内容ももう一付掴み難いのです。老化現象が進行しているのでしょうか。
国盗り漫画を読もうと試みたのですが、どうもうまく行きせんでした。
 

hnさん

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2007年 8月24日(金)09時00分17秒
返信・引用
  お久しぶりです。

石見神楽っていうのはかなり奥が深く、いろんな場所でいろんな神楽団があり
衣装もお面もいろいろだったようです。

衣装なんかも神楽団によって様々だったのでしょうねぇ。

観覧中、地元の方たちは「○○という演目は○○社中が一番上手だ」
なんて会話しながら見物しておられましたから、そういう評価を競い
合ったりもしているのでしょうねぇ(^^ゞ

元々の台本は同じのようですから、話の筋が違うってことはないでしょうが(^^ゞ

道具も衣装も仕掛けも一々が高価そうですから、御花や寄付運営費を多く集められる
社中によって差があるんじゃなかろうと想像しているのですが(^^ゞ

ここ最近、特に盛り上がってきたような雰囲気がありますから、観光事業の政策
の一環として行政からの援助とかがうけられるようになったのかな?

温泉地や観光地を地元としている神楽団なんかは地元の観光関連や商業組合など
事業所からの援助もうけやすそうですしね(^^ゞ

大蛇の数は予算によって変化したりして(^^ゞ

石見地方も過疎化、高齢化が進んでいるようですから、
踊り手の確保も一大事でしょうしね(^^ゞ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/umikagura.shtml

 

石見神楽は

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 8月23日(木)23時24分4秒
返信・引用
  地元ですので、大阪に転居する前の子供の頃に、自宅で見た覚えがあります。
でも、あんなに派手だったようには、記憶していません。
きっと、観光用に豪華版に下のだと思いますが。

大蛇は確か一匹だえだったような・・・。
 

坂田金時が

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2007年 8月23日(木)15時50分6秒
返信・引用
  活躍するのは、「大江山の鬼退治」の神楽です。

神楽でも、きんとたろう・・・いや金時は鉞を振り回していました(^^ゞ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/umikagura.shtml

 

ここだけではありませんが

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 8月23日(木)08時15分17秒
返信・引用
  管理人を喜ばせるという事も礼儀かと思います。日頃の疲れを癒させる書き込みというか、たまには冗談もいいでしょう。出来れば管理人に見るのを楽しみにさせるという演出も必要かと思います。難しいですが。
歴史観は、絶対に変えない人もいれば、変わる人もいます。
 

大介さん

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 8月23日(木)00時37分36秒
返信・引用
  掲示板3のほうに書いているように、最近のマイブームは「運動」です。
頭まで筋肉化してきたのでは??と言われています、自爆

勇者ロトさんの旅行記を拝見しました。
きんたろうが活躍する大蛇退治なんですね、(^^ゞ
確かに、素戔嗚尊の物語にそっくりです。

ちなみに、「俺の強さにみんなが泣いた」というセリフは、キンタロスのセリフです、笑
 

歴史

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 8月23日(木)00時33分41秒
返信・引用 編集済
  の話題に限らず真面目な会話をしている時には、真面目な会話をするのが常識ある態度です。

まじめに歴史を語る場というのが、具体的に何を言っているのかよく分からないのですが。。。
例えば、Yahoo掲示板のようなオープン掲示板のスレッドもしくはトピックのテーマで、「IF」というのがたまにありますが、このようなタイトルのトピに対して骨髄反射的に潰してしまおうという強烈な思いに満ちあふれた書き込みを何度も見ました。

でも正直な所、このような書き込みは全く意味がないのではないか??と思うわけです。
TPOを考えて行動するのは、実生活ばかりでなくネット社会においても同様ですから。

まじめに勉強する人々を罵る、ような態度は誰が見ても良くない行為ですよね。
でも、これイコール信長ファンである、という図式が成立するかどうかは全くの別物ですよ。
それに、アンチかどうかというのは、右か左かというような史実に基づいた話しをする場合には全く関係がありません。

なので、このような主張を強調すると、本人としては「真面目に大切なことを」せっかく言っているにもかかわらず、話しがずれてしまうのかなと思います。
テーマも矮小化してしまいます。
そして、真意も伝わらな結果になりがちです。

私がアラシ認定をしたということですが(それは申し訳なかったのですが。。。)、その動機が「真面目に勉強する人々を罵るのは信長ファンだから」という論法によって断言するのは、???としておきましょう。

断片的な議論もそれなりの効果はあるのでしょうが、ポイントだけの話題ではトータル的により正確な姿を導き出す事が難しい(というより殆ど不可能)ように思っています。
しっかりした構造を持つ自説の発表があれば、これに対して鋭角的な議論をすることも可能になるでしょう。

なので、希望するのは掲示板を舞台にして白黒をつけるようなディベートもどきではなく、あの時代をトータル的に表現してほしいということです。
「信長の真の姿」みたいなアプローチでももちろん歓迎しますよ。
 

更新しました

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2007年 8月22日(水)19時29分48秒
返信・引用
  旅行記のページを更新しました。お暇があればご覧ください(^^ゞ

下記アドレスです。

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/umikagura.shtml

 

歴史の真実とは?

 投稿者:大介  投稿日:2007年 8月20日(月)11時03分29秒
返信・引用
  本物の歴史、真実の歴史、そんなものは、その時代に生きていた人間だって分かるものではないと思っています。また、残された記録や文書、それらも、書いた人物や記録を残した人の主観によってかかれようが違ってきます。当然、それらを研究している方々は、冷静な判断力と分析力によって、自らの見解を出されると思いますが、それが、真実かどうかは誰にも分かりません。
私たちが、歴史を語るとき、ある程度はこれまで発表された説をもとに、語るのは仕方の無いことです。それが、正しことなのかは別にして、自説を構築することに、歴史に遊ぶ(学ぶ)楽しみがあると思うのですが・・・。
信長に対しても、百人の人がいれば、百人それぞれが自らの信長感を持っています。それがこれまで構築された信長のイメージで、あったとしても、全ての人が全く同じ信長感だとは思いません。例え、それが信長に対する妄想であったり、期待感から出た意見であったとしても、それはその人の学んだこと、得た情報から導き出されたものです。
つまり、現代の私たちが語る歴史に、100%の真実は無いということです。私たちは、過去に生きていたわけではなく、その時代の価値観や社会情勢など、詳しく知っているわけでもありません。これまでに残された書物や文書、遺跡など、当時の遺物をもとに推測するだけです。残された書物や文書が、100%正しいとは限りません。そこにはあくまで、書いた人の立場や状況により、物の見方が変わってくるからです。
推測はあくまで推測、真実ではないのです。そう言う意味では、推測も妄想も五十歩百歩だと思うのですが・・・。
 

ううむ

 投稿者:  投稿日:2007年 8月15日(水)23時29分36秒
返信・引用
  どうも話がかみ合わないみたいですね。
気に食わないからやめさせる、ではありません。まじめに歴史を語る場で、個人の妄想を持ち込む人に対して退場願うまでのことです。
ところが現実には、信長好きの人たちに限っていうと、現実より個人の希望や妄想を重視している人が多いでしょう。井澤氏はその典型でしたが、現実の信長像を語ろうとすれば「とおりすがり」みたいな発言するんですよ。私がアンチ信長だ、と。
断っておきますが、私はアンチではありません。
残念なことに、あなたからは信長の史実の姿について語っていただくことはできませんでした。
でもこれが、多くの信長ファンの姿ではないかと改めて思わずにいられません。実際の信長像を受け入れられないがゆえに妄想の信長を事実だと思い込み、史料に当たるなどの努力を一切せず、まじめに勉強する人々を罵る。
現実に私は、あなたにそうやって荒らし認定された経緯がありました。

井澤掲示板でかつて活躍した別の方のサイトも見つけたので、そちらでガチンコの話を仕掛けてみます。
 

虹さん

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 8月 9日(木)23時13分21秒
返信・引用 編集済
  が真面目な方だというのはよく分かりました。

>個人の願望(信長が天下を取る、など)をれっきとした事実(天下人になれなかった)より重視する、その時点で歴史談義ではなくなっているのですよ。

言われる事はその通りだと思っています。
なので、前回下記のように返答していますよ、笑

>>史実を越えた話というのは、人によって言い方はそれぞれですが。。。
>>これをシビアに言うと、「妄想」だったり「妄言」だったりするわけですね。

>>史実を越えた話というのは、要するに「IF」ということですが、IFというのは個人の好みなので、「このレベルまでのIFは認めるが、これ以上は駄目だ」というものではありません。
>>要は、各人が楽しめればそれでいいのではないでしょうか??

つまりIF話というのは、歴史ではなく、個人の楽しみ(=想像)の部分なんです。
想像が史実とは別物であるのは当然のことですよね。
なので、「歴史」についてのみ語るのであれば、史実を最優先するのは当然のことです。

でも、「もしもし話」の場合、これが例え与太話だとしても、気にくわないから止めさせる、なんてことは誰も出来ません。
また、そんなことに情熱を傾けても仕方がないですし、それほど暇な人もいないのではないでしょうか??
要は、歴史以外の話なんだなぁと思って話に加わらなければいいだけのことだからです。


>それに私は、あなた御自身が対立意見に自由を認めるほど寛容でないことを知らないのではありません

ははは(^^ゞ
まだまだ未熟者なので失礼しました。

掲示板はコミュニケーションの場であり、役に立つことが多いのは事実です。
でも、私たちがトータル的な考えを表現する場所としては不十分であると考えています。
あるテーマについて、その全体像を発表する場所としては、せっかくHPという手法があるのですから、そちらで行うことをお勧めします。
より真意が伝わると思いますよ。

武田研究家さんですか!!
懐かしい名前ですね。
あの方はとても詳しい知識をお持ちの方でしたね。

井沢先生は一般人と比べれば遙かに公人的要素が強い方ではありますが、ネットの「家主」さんというのはプライベートなものです。
そこにわざわざ文句を言いに来たという行為に対して、あれだけ深い知識がある人なのに勿体ない、常識に欠けているのではないか??あるいは、甘えすぎではないか??と残念な気持ちを持った記憶があります。
記憶なのでいい加減なところがあるかもしれませんけど。。。ね、笑

悪行伝説というのは、史実のチャックを行うべきものであり、一方、IF話というは全く違うレベルの話です。
また、「残虐」といった用語は、当時の大名たちと比べてどうなのか??という点でのみ使う事が出来る枝葉の部分でしょう。

虹さんの興味の持たれているテーマについて、まとめたものをご自分のHPに発表してください。
そうしたら、ご連絡ください。
 

信長

 投稿者:  投稿日:2007年 8月 8日(水)16時00分41秒
返信・引用
  日本史上最大級の英雄であると語るのは自由でしょう。

では質問です。あなたはいかなる理由で、信長をそのようにお考えなのでしょうか。その理由に、次の項目が候補として考えられますが。

一、楽市楽座
まず楽市楽座が信長のオリジナルでないことは井澤氏の掲示板でも散々語られていたことですが、仮に信長のオリジナルだとして、あなたは楽市楽座をどの程度理解していますか?
私は不勉強なので、ぜひわかりやすく御説明いただきたいのですが。
いかなる経済的効果があり、それによって信長以前と以降とで、どのように日本経済が変化したのかを、根拠を持って語ってください。

二、長篠の戦での火縄銃三段撃ち
これこそ虚構であることは中学生でも知っています。長篠の戦で本当に三段撃ちがあった、などと本気でお考えですか? まさか井澤氏が講演で語ったという、「鉄砲の轟音で武田勢はびびって戦いどころではなかった」なんて妄言を、あなたは本気にしているわけでもないでしょう。

三、政教分離
私には、比叡山の焼き討ちを正当化するために西洋史の概念を持ってきたようにしか思えませんが、本当に政教分離の思想を信長が持っていたとするなら、その根拠をお聞かせいただきたい。
さらに政教分離することのメリットって何ですか? 政教分離したから信長はすごい、これだけでは誰も納得しませんね。

四、兵農分離
信長の兵農分離は他より遅れていたと言われるくらいですが、私自身は肯定も否定もしません。あなたが「信長が日本で最初に兵農分離した」と考える根拠があれば、御紹介いただきたい。

五、鉄の船
瀬戸内海に浮かぶのがやっとで、とても海戦どころではない船を造ったところで、それは採算割れの浪費であるのですが。本願寺はこれによって海上封鎖されてわけではなく、その後も抵抗し続け、開城の時ですら兵糧米は豊富だったのです。実用的ではないタイムマシンを作り「自分はドラえもんを先取りしている」なんていっている子供と同じレベルです。

本当に信長が最大級の人物だというのであれば、事実に基づいた偉大なる話を語ることです。事実も知らないのに妄想で評価する人が多いのは、信長、義経、竜馬というところでしょうか。
 

苦言

 投稿者:  投稿日:2007年 8月 8日(水)15時43分17秒
返信・引用
  自由、ですか。
多少厳しい言葉が続きますがご容赦願います。けっしてあなたを誹謗するのが目的なのではないことを予め申し上げておきましょう。井澤元彦氏の掲示板では、少し厳しく批判されるとすぐに怒り出す方がいたので苦々しく思っておりました。

あなたは自由という言葉を履き違えているようです。
自由とは、ルール無用で何でもやってかまわないということではありません。歴史談義において自分が信長のイフを嫌うからやめろなどというのではないのです。
歴史というのは過去の事実であることを、一度確認なさってはいかがですか。個人の願望(信長が天下を取る、など)をれっきとした事実(天下人になれなかった)より重視する、その時点で歴史談義ではなくなっているのですよ。自由自由と何でも認めれば、信長が架空の人物だという話も可能になりますね。
それに私は、あなた御自身が対立意見に自由を認めるほど寛容でないことを知らないのではありません。武田研究家なる人物が井澤氏を批判すると、さらに批判を返していたことくらい覚えております。また信長の悪行伝説、たとえば光秀の母親殺害を、後世の作り話だと断定して相手の発言を一刀両断していたことも。
信長の悪行の信憑性はわかりませんが、少なくとも残虐な人であったことは残されたエピソードからもよくわかります。これを述べることに自由がないのに、明らかな嘘である信長の世界進出を語る自由を認めているのでは、判断基準が自分の好みで決めているのはあなた御自身では?

歴史に限らず時事問題、たとえばブッシュのイラク侵攻、北方領土・竹島・尖閣問題、ゆとり教育などで、あなたは本当に対立意見の自由を認めていますか?

自由には責任という言葉が付随します。
もし信長の天下取り、世界進出を語るのが自由だとおっしゃるなら、あなたには私の質問に答える義務がありますね。
本能寺の変まで、信長は部下に裏切られ同盟者と決別し、いくつもの敵対勢力の排除にも苦戦の連続でした。つまり日本統一も精一杯の人が、なぜ本能寺の変を回避すればなんでもうまくいくのですか? 光秀が敵対勢力に回る分、味方は弱対するし天下統一にロスは増える一方ですが。
 

新しい人

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 8月 2日(木)00時01分54秒
返信・引用
  の書き込みは久しぶりです。

虹さん、ならびに通りすがりさん、ご来訪並びに書き込みを有り難うございます。

信長は日本史上において最大級の有名人ですから、多くの人達が注目していますので、いろいろな感想や意見を言われる宿命にあるのだろうと思っています。

史実を越えた話というのは、人によって言い方はそれぞれですが。。。
これをシビアに言うと、「妄想」だったり「妄言」だったりするわけですね。

史実を越えた話というのは、要するに「IF」ということですが、IFというのは個人の好みなので、「このレベルまでのIFは認めるが、これ以上は駄目だ」というものではありません。
要は、各人が楽しめればそれでいいのではないでしょうか??

「突拍子もない話なので、おいらは嫌だ」というのは、その人にとってはその様な話題を拒否する十分な理由になるとしても、相手に対して強制的にその話題を止めさる権利が発生することにはならないからです。

何しろ、私たちは各人がそれなりに忙しい日々を送っているわけですから、自分が興味を持たなければその話題に入らなければいいだけのこととなんです。

ところで、歴史上の人物評価をするというのは、その評価を下す人の価値基準ばかりでなく、個人の感情が強く反映されてしまうものですから、実はなかなか難しいものがあります。
歴史を語っているつもりでも、自分の気持ちを語っているだけなんてことを見かけるからです。

信長が有名なのは、様々な理由により当然だろうとと思います。
また、関心を抱きやすい時代でもあります。
でも、せっかく歴史に関心を持たれているのなら、注目する対象をこの時代の信長だけに特化するのではなく、地域や時代を広げられるともっと楽しくなると思います。
 

(無題)

 投稿者:通りすがり  投稿日:2007年 8月 1日(水)05時40分38秒
返信・引用
  >逆に変な同情から誇大妄想されると非常に迷惑です。

逆に変質的な粘着質の反信長ヲタの被害妄想も見苦しいですね。
 

信長は天下人にあらず

 投稿者:  投稿日:2007年 7月31日(火)16時38分36秒
返信・引用
  井澤元彦氏のBBSで有名だったきんたろうさんの掲示板を拝見しました。
世間では信長が天下を取ったら世界制覇と誇大妄想を語る変な人が多いけど、ここの掲示板ではきちんと現実どおりの話がされているようで安心です。
信長は戦いは強いかもしれませんが、謀略はまったくの不得手でした、それが本能寺の変につながったのです。信長は負けるべくして負けたのだから、それから先を語るのは歴史ではなくただの妄言でしかありません。
戦国時代の争い、よくレースといわれるけど、つまりはマラソンにたとえられると思います。駆け引きなど考えず強引に駆け出したのが信長だったといえるでしょう。
他の群雄たちは、あるものはついていけず、あるものはペースを乱され、落伍していきました。
しかし信長自身も完走する力がなく、途中でリタイアする羽目になったのです。

私は思うんですが、信長が天下を取っていたら、と語る人の傾向として、反省することを知らない、ではないでしょうか。
信長が負けたのは信長に原因がない、光秀が悪いのだ。このように語る人があまりにも多い。
部下に裏切られないことだって、能力のひとつです。信長には悲しいかな、それがなかったのですが、信長ファンは認めようとしません。
信長の世界進出の話を否定されると、自分が現実を無視していることも忘れて、否定した人に噛み付いた挙句、相手を荒らし呼ばわりしています。
こんな人たちに支持されると思うと、信長がかわいそうですね。
私が信長だったら、自分は失敗したが出来る限りのことはしたのだから後悔しない、というでしょう。
逆に変な同情から誇大妄想されると非常に迷惑です。
 

菊池さん

 投稿者:輔住  投稿日:2007年 6月21日(木)07時11分27秒
返信・引用
  >義経は平泉で死んだから良かったのだと思います。
そうかもしれませんね。
多少失礼かもしれませんが、範頼が殺された事件はあまり有名じゃないし。

信長も秀吉や家康のように病死していたら、評価は変わっていたかも
しれません。(ただ個人的には本能寺がなくても、似た事件がおきるような)

まあ、殺してくれた人物に感謝はむりだと思いますけど。(苦笑)
 

国民に愛される為には

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 6月20日(水)18時41分32秒
返信・引用 編集済
  義経は平泉で死んだから良かったのだと思います。それ故に国民に愛されるまでになったのかと。
結末が悲劇に終わらなければ、劇的になりませんからね。

信長も又同じでしょう。
あれ程の激しい人が炎に包まれて果てた故に国民的英雄になれるのです。殺してくれた人に感謝してもいいくらいでは。
 

勧進帳

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 6月 6日(水)00時41分5秒
返信・引用
  は、何と言っても弁慶のすばらしさを良く表現している話ですよね。

名場面中の名場面と言っても過言ではないと思いますが、いくら落ちぶれているとはいえ義経から受ける印象が違うように感じます。
そんなところからも、この話が「物語」であるのが分かります。

義経伝説は数多くありますから、そんなところから、安宅の関の話が作られたのでしょうか??
衣川で討ち死にした後の義経伝説から派生したものなのかな??(後付的に)といった感じもしています。
 

義経と勧進帳

 投稿者:大介  投稿日:2007年 5月31日(木)17時43分23秒
返信・引用
  義経の都落ちで有名な場所と言えば、「安宅の関」です。場所は、石川県小松市で、小松住吉神社の側にあります。義経主従がこの関を通過しようとした時、関所の責任者であった富樫が、都から姿をくらました義経一行ではないかとうたがったため、弁慶が何も書いてない勧進帳(東大寺大仏殿修復のための勧進帳に見たてもの)を読み上げるのですが、それでも疑われたため、主人の義経を弁慶が錫杖で打ち据え、難を逃れると言った、歌舞伎の名場面ですが、これは、江戸時代になってから作られた話しです。
義経が平泉への逃走経路として、この場所を通ったのかどうかは、判っていません。また、現在史跡として整備されている安宅の関も、現在の場所ではなかったと言われています。
しかし、平泉と山岳信仰、修験者の関係を紐解いていくと、義経の逃走経路に白山信仰が関わっている可能性が大だと思われます。白山の登拝口の一つ、越前馬場があるのは平泉寺(へいせんじ)、ここは平泉の地名の由来になったと言われています。また、岐阜の白鳥にある美濃馬場には、平泉の藤原氏から寄進されたと伝わる金仏が残っています。
こうしたことから、義経は白山信仰の修験の道を辿り、石川県鶴来町の白山神社への道を辿り、北陸に抜けたと考えられます。
鶴来町と小松は直ぐ近くですが、義経と安宅の関の関わりに付いては、今一つ、不明です。危険をおかしてまで、ここを通る必然性が判りません。
 

あっ

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 5月29日(火)21時42分40秒
返信・引用
  すみませんでした、^^;;

無料の広告板として使いたいのかもしれませんが、はっきり言って効果はないと思います、笑

義経と言えば、ちょっと前に「もしも、義経にケータイがあったなら」という本を読みましたが、なかなか面白かったです。

義経は公的に認められる活動期間が短いために、伝説になっている部分が大きくなってしまうという関係があるのではないでしょうか??
 

最近

 投稿者:大介  投稿日:2007年 5月29日(火)13時37分45秒
返信・引用
  最近、妙な書き込みが多いですね。
歴史フリークの皆さんの会話が読めなくて、少々、寂しい思いをしています。
そこで提案したいのですが、義経が兄頼朝に都を追われ、京都から平泉に辿った経路を検討してみませんか。各地に残る伝説や義経に関する物語、あるいは、義経時代の海路、陸路などの交通網、その時代の人々の行動などで、義経の逃走ルートを探ってみたいと考えているのですが・・・。いかがでしょう。
 

縄文人

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 5月10日(木)22時32分22秒
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  の話題ですか!!

かなりスケールの大きな話題ですね。
 

中杉 弘のブログ

 投稿者:石橋みどり  投稿日:2007年 5月 9日(水)15時31分10秒
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  ついに明かされた三内丸山遺跡の謎!
縄文土器・縄文人のルーツが知りたい人は必見!!
日本人のDNAをもっている人なら必ず納得いきます。
知りたい人は、み・て・ネ!
      ↓
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137

 

大型連休も

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 5月 6日(日)22時26分29秒
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  あっという間に終わってしまった!!といった感じです、^^;;  

そろそろかなと

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 4月28日(土)19時09分4秒
返信・引用
  思っていたのですが、150000番台に乗っていました。

ゲットされた方は連絡をお願いします。
 

Re: 連休が始まります

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 4月26日(木)03時36分32秒
返信・引用
  そろそろゴールデンウィークが始まりますね!!

土佐日記について書かれた古典再入門は、ようやく読み終えました、^^;;

極めて緻密に分析された内容であり、かつ読みやすいという素敵な本です。

毎年この時期になると、家の回りに水が張られます。
遠くから見ると、大きな湖のほとりにいるかのような気持ちになってきます。

特に星の綺麗な夜の風景は、幻想的できれいですよ。
 

連休が始まります

 投稿者:大介  投稿日:2007年 4月24日(火)10時22分12秒
返信・引用
  今年も、連休が始まります。皆さんは、どんな計画を立てていますか。私は、連休中でも一日おきに病院で透析です。透析の合間を見て、新緑の白山を散策、イワナ釣りでも楽しんでこようと思っています。
さて、先日来、きんたろうさんが『土佐日記』について書いていらっしゃいましたが、もう、読み終えたのでしょうか?
私は、最近、江戸時代の女性が書き残した、旅日記など読み始めています。彼女たちの教養の深さに感心しながら、読んでいます。なかなかのものですやお。
 

3月

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 4月 8日(日)23時38分53秒
返信・引用 編集済
  の読売新聞に(何日だったかは忘れましたが)、土佐日記について書かれた本の紹介がありました。

本のタイトルは「古典再考入門」というもので、土佐日記を文法的に厳密に解釈する内容のものです。
序文の「をとこもすなる 日記といふものを をんなもしてみんとてするなり」を、男もするという日記というものを女の私もしてみよう、という意味ではない!!という内容だと書かれていたのを見て、思わず飛びついてしまったという訳なんです、^^;;

というのは、日記は主に男性によって書かれていた時代に、「も」はおかしい、とずっーと前から感じていたからなのです。
これが「をとこのすなる〜」なら、現代語訳をスムーズに受け入れたと思うのです。
でも、「も」というのがどうしても引っかかっていました。

勿論、古文に関して全くの素人なので、助詞の使い方を1000年前の使用例をピックアップして検証するということは出来ません。
そのために、プロの方の訳をみても、「も〜も」が現代語では有り得ない使い方であっても、昔の使い方は違っていたのだろうと思っていたわけです。

この前、土佐日記を通読しましたが、ちょうど今「古典再考入門」を半分くらい読み終えた所なんです。
 

今頃になって^^;

 投稿者:kituno  投稿日:2007年 4月 7日(土)23時57分29秒
返信・引用
  どうして土佐日記を読もうと思ったのですか?

http://www.geocities.jp/kituno_i/

 

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