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今日

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 3月31日(土)19時08分28秒
返信・引用 編集済
  で3月もおわりですよね。
今年も3ヶ月が過ぎてしまったことを思うと、月日の過ぎゆくスピードをひしひしと感じているところです。

実は。。。昨日持ち帰った仕事をようやく終わらせたところなんですね。
オーマイガッ!!という感じです。
仕事を自宅まで持ち込むのは、私の美的感覚からいうと耐え難いものがあるのですが、浮き世の住人としてはたまには仕方がないと諦めています、(^^ゞ

なかなか更新できないでいますが、燃え立つものは依然としてあって、これを何とか表現したいという気持ちはあります。
でも、物理拘束を受けてしまうと、熱がだんだんと下がってしまうのは、全てに通用する真理なんだなぁと思ったりします。
でも、パトスが消滅したわけではありません。

土佐日記について10日ほど前に触れましたが、この散文全体に触れてみて、人間の才能のすばらしさというのは1000年時空を超越したものだと感じ入った次第です。

ちなみに古文の読解力はボロボロなので、解説本を読んで原文と両方を理解しました、笑
 

土佐日記

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 3月21日(水)15時54分3秒
返信・引用
  を初めて通して読みました。

今頃になって、自爆かもしれませんが、改めて紀貫之の溢れる才能に触れた思いがしました。
すごすぎる!!の言葉しかありません、^^;;
 

re.テレビでは九州説の勝利

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 3月15日(木)15時48分33秒
返信・引用
  九州からの東征後に前方後円墳が全国に拡散……、という主張が強かった。
ホケノ山古墳のAMS法を取り上げてくれれば、意外な劇的な流れになっていたような気もするが。
でも最終投票では10%近く畿内説も盛り返したようです。
 

テレビでは九州説の勝利

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 3月14日(水)22時56分53秒
返信・引用 編集済
  NHKその時歴史は動いたは邪馬台国論争でしたね。

巻向遺跡に吉野ヶ里遺跡を対抗させたようです。
投票では、九州での鉄器普及の豊富さ、神武天皇東遷神話、を絡めて主張した
九州勢力武力統一説が6:4で勝ったようです。

爆死
 

Re: 小さいときの記憶

 投稿者:kituno  投稿日:2007年 3月13日(火)23時37分0秒
返信・引用
  > 小さい時の記憶がはっきりしているのは、きっと楽しい思い出だからだと思います。

いえ。逆です。
初めて保育園に入れられた日のこと、母の姿を追って保育園の玄関先で大泣きしたこと、なかなか友達の輪に入れなかったこと、大好きな先生が他の子を抱っこしてヤキモチを焼いたときのことなど、どちらかというと「寂しい」とか「苦い」とかの感情を初めて味わった時のことが記憶として残っているようです。

ちび姫がなかなか保育園に馴れなくて、7月頃まで泣いていました。
泣きながら鯉のぼりの前で撮った写真を見ると、自分の時の気持ちも思い出して、今でも涙が浮かんでしまいます。

> 私の場合は「あれ、それ、これ」といった代名詞を多用しています、(^^ゞ
> 顔とか話しの内容ははっきり覚えているのですが、名前などの固有名詞が思い出せない。。。頻度が高くなりました、自爆

はは^^;
私も同じです。
「ほらあの時、あそこで、あの人と会ったでしょう。」みたいな^^;;
殆ど会話になっていません。(^_^;)

http://www.geocities.jp/kituno_i/

 

Re: 小さいときの記憶

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 3月13日(火)21時27分7秒
返信・引用 編集済
  > 私は最近のことより、小さいときのことのほうが良く覚えています。
>
> 保育園入れられた日のこと(わずか2歳)
> 保育園で読んでもらった紙芝居、お昼寝のこと、保育園に飾ってあった時計や絵、友達、遊びの内容。
>
> それから、私は「胎児の記憶」さえあります。

kitunoさん、すごいですね、v(^o^)

小さい時の記憶がはっきりしているのは、きっと楽しい思い出だからだと思います。

私の場合は「あれ、それ、これ」といった代名詞を多用しています、(^^ゞ
顔とか話しの内容ははっきり覚えているのですが、名前などの固有名詞が思い出せない。。。頻度が高くなりました、自爆
 

小さいときの記憶

 投稿者:kituno  投稿日:2007年 3月12日(月)23時24分50秒
返信・引用
  私は最近のことより、小さいときのことのほうが良く覚えています。

保育園入れられた日のこと(わずか2歳)
保育園で読んでもらった紙芝居、お昼寝のこと、保育園に飾ってあった時計や絵、友達、遊びの内容。

それから、私は「胎児の記憶」さえあります。

でも、最近のことはすぐ忘れてしまいます。
困った・・・・・。

http://www.geocities.jp/kituno_i/

 

確かに

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 3月12日(月)01時15分30秒
返信・引用
  小さい時のはっきりとした記憶というものは、殆ど残れませんよね。
それに、地元の事に限ってあまりよく分からなかったりしますからね。笑

それにしても。。。
鹿児島と島根というと、私の「虚構(^^ゞ」である「かぐしまネットワーク」に相当しますね。
 

郷愁?

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 3月 5日(月)22時50分15秒
返信・引用
  を感じようにも、全く覚えて無いものですから、・・・。
半島からの引き揚げは、亜米利加が、朝鮮軍(朝鮮半島守備に当たった日本陸軍)を、先に内地に引き揚げさせ、その後に、在朝鮮日本人(民間人)を引き上げさせた(進駐した米軍がわずかだったため、当初の治安維持を委ねられた朝鮮軍が、御用済みになって、民間人よりも先に引き揚げさせた)いきさつがあり、確か、昭和21年に日本夷引き揚げたのですが、最初は母方の本籍地である鹿児島県に半年ぐらい住み、父が戦地から帰ってくるという話があって、今度は父方の本籍地の島根県で、その帰国を待っていました。
しかし、鹿児島県での記憶も全く欠落しています。

父は軍医(「志願」と言う事になっていましたが実態は「応召」)であり、終戦時(敗戦が正しい表現でしょうが)、河南省開封あたりの陸軍野戦病院に勤務しており、終戦の詔勅にしたがって、前面で対峙していた中国軍に降伏したのですが運の悪いことに、「国共合作」で、政府軍に編入されていた、共産党系の部隊「八路軍」だったので、たちまち開始された国共内戦で、「共産党軍の野戦病院」と化した「旧日本陸軍野戦病院」は、当初優勢だった国府軍に押されて、満州に移動し、更に鴨緑江を越えて、半島に入ったところでチャンスを得て、、中共軍から逃れることができたというわけです。
脱走したのは、野戦病院の日本人全員で、26人(軍医、従軍看護婦、衛生兵)ということでした。
 

迷惑メールについて

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 3月 4日(日)11時39分26秒
返信・引用
  あっさりと削除できるので大して気になりはしないのですが、最近(この1年くらいかな??)迷惑メールの数が増大しているような感じを持っています。
現在使っているメールはメーラーのものではなく、ウェブ・メールなのでダメージは全然無いのですが、相当の数の迷惑メールを着信拒否にしました。
でも、アドレスを作るのがあっという間なのはお互い様なので、業者はいくつものアドレスでスパムメールを発信するわけです。

そのために、着信拒否をしても意味がない状態になってしまったのですが、スパムメールなので結局は迷惑メールホルダに行くことになります。

迷惑メールホルダのメールを確認するわけがないので、メールによる勧誘(かな??)の効果は殆ど無いのではと分析しています、^^;;
 

hnさん

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 3月 4日(日)02時20分51秒
返信・引用 編集済
  もこの方と同じように、朝鮮半島からの引き揚げ者だったのですか!!

>幼時のこととて、何の記憶も在りません

であったとしても、この方のバンブー物語を読んでみれば郷愁を感じるのではないでしょうか??
とは言っても、子どもの頃の数歳は大人からみたら誤差の範囲なのですが、ものすごく大きな「差」になりますので微妙なところなのかもしれませんね。

支那大陸やソ連のシベリア連行とともに、引き上げ時における悲惨な体験というのは、後世に残す大事な記録だと思っています。

この新聞記事にあるように、この方の体験記に対して、反発しけちをつけるというのは、やくざの論理と同じでどう考えてもまともな人間のやることではありません。
「日垂るの墓」にクレームをつけたのと同じようなものだと感じました。

この手の反発(屁理屈込みで)をする人の発想はというのは、「日本人が被害者であることを認めない、何故ならば日本人だからだ」といった極めて悪意に満ちた発想に基づいたものだからです。

彼処特有の「勝手に相手を差別する」という意識に基づいたものなんですよね。
そして、一方では「不良識日本人」が、朝鮮人を差別したことを反省シル!!とかいう声があった時に、これに対して無批判で(無条件かつ事実確認をしない)に同調してしまうわけです。
朝日新聞のような存在価値を無くしたマスコミが、未来を暗くしているように思います。
 

朝鮮半島からの引き揚げ者

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 3月 1日(木)22時17分34秒
返信・引用
  というのなら、私もそうですが、幼時のこととて、何の記憶も在りません。
それに、米軍の占領地域だった「京城(ソウル)」からの引き揚げでしたので、まあ、ソ連占領下の北朝鮮からの引揚者のようなことは在りませんでした。
親族や、父母の友人等から、当時の話の一部は聞いています。
北部では、2万人近い日本人が、朝鮮人に殺されたといわれていますが、ソ連軍に治安維持や、日本人保護の精神など求めるべくも無かったのでしょう。
 

SO FAR

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 2月19日(月)21時59分56秒
返信・引用 編集済
  FROM THE BAMBOO GROVE
ヨウコ・カワシマ・ワトキンスさん(73)の自伝小説についての記事が二日前にありました。

>終戦前後の混乱のなか、朝鮮半島から引き揚げた日本人少女の苦難を描いた自伝的小説が、米国で学校教材として使われることの是非をめぐり、論議を呼んでいる。
>韓国系米国人らは「日本の植民地支配の歴史を歪曲している」として教材の使用禁止を要求。
>「戦争の悲惨さをよく伝えている」との擁護論もあり、日韓の歴史問題が米国の教育現場に飛び火した形だ。(米マサチューセッツ州シェルボーンで 白川義和、写真も)

>「どうして今、問題になるのかがわからない」
と、ヨウコさんが、納得がいかない表情で語るとありました。

あそこの人達の反応というのは、「信じられない」レベルのものが多いですよね。

下記のアドレスが新聞記事のページです。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20070219bk1b.htm

 

先週

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 2月 6日(火)23時58分20秒
返信・引用
  先々週と2週続けて出張で東京まで出かけてきました。
目的地は水道橋とお茶の水だったのですが、このエリアに入ると年齢層が一気に若くなりますよね!!

この辺りに出向くのは本当に久し振りだったので、駅を降りるとすぐ文京区だったという事すら忘れていました、^^;;
 

今週

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 2月 5日(月)00時28分31秒
返信・引用 編集済
  (先週)の週刊ポストで、斉藤先生(日本語について書かれている先生です)が持っているコーナー(賢者に学ぶだったかな??)で高橋是清について触れられていました。
高橋是清と言えば、達磨宰相と言われた人で、「ダルマ」とあだ名が付けられたくらいですから、当然この人の人生とは「七転び八起き」の波瀾万丈の典型というべきものでした。

かつ、昭和恐慌や、2.26事件の被害者として知られていますが、この人がいかにポジティブに人生を捉えていたのかということについては、全く知りませんでしたので、「おおおお」(=語彙力不足を痛感しました、^^;;)といった感覚になりました。(^-^)
 

漫画「国譲りの真相」『第一部邪馬台国編』

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 2月 5日(月)00時23分45秒
返信・引用
  原作、勇者ロトさん、画は安部さんによるものです。

是非ご覧下さいね、v(^o^)
 

自己の証明

 投稿者:林権助  投稿日:2007年 2月 4日(日)00時19分41秒
返信・引用
  私は邪馬台国などに今ひとつ興味が湧きません
無理に好きになる必要もないので、ほおっていますがw
理由は証明の欠落によるものです。
いわゆる真理を目指すというのが長らく欠落していたという事です。
神により自己が存在するという公理という大前提、
知は真理を目指し(大前提)そして同時に数学を制度とした真理という(小前提)とう事は知のシステムも制度に過ぎない(結論)
基本的な部分がもはや三段論法になっているわけです。
つまり理性による真理という存在により証明が存在する事になります。
これにより自明の存在が証明される事になり、ギリシャ文明は多くの資料と共に残る事になりました。
邪馬台国はいまだ喧喧諤諤の論争の中です。おそらく奈良あたりなんでしょうが
始まりはたいした事ではないんですが
例えば結び目を作って12等分し3対4対5の長さに分けて三角形を作ると直角が出来るとかね・・
自己を条件抜きでも証明したいと考えたギリシャと邪馬台国にどのような差があったのか?
レヴィ・ストロースらは古事記などを世界各地で存在する神話と同じカテゴリに入る神話学に分類した。
3度の日本講演で多くの学生は納得したようですが・・・

レヴィ・ストロースは日本人の学者により神話論理の本が出ています。
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4622072084/
 

宣伝書き込み

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2007年 2月 3日(土)17時00分50秒
返信・引用
  漫画「国譲りの真相」『第一部邪馬台国編』が完成しました(^^ゞ

ご覧いただける皆様は下記アドレスからどうぞ(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/applet/azisuki/msgcate14/archive

 

給食費未納

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月29日(月)22時22分36秒
返信・引用 編集済
  については、新聞でも大きく報道されていますね!!

生徒の1%が未納であり(父兄の率にすればもっと高くなります)、金額は22億円とありましたが、これは1年間で22億円もの未納があったということなのでしょうか??
ひょっとしたら、数年間の累計値??
いずれにしても、信じられないくらい大きな金額ですよね。

これは理屈ではなくモラルの問題です。
モラルの崩壊に対して、制度でその穴埋めを図るのは根本的な解決策にはならないと思います。

藤原正彦先生の「祖国とは国語」を読んでいる最中です。
 

給食費について

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月29日(月)16時01分50秒
返信・引用
  払わなくても良いと思う発想はどこから来るのだろうか?
義務教育の一環であるから国家は学生に無償で食べさせる義務がある、子供達は無償で食う権利がある、という事なのか。
これは日本の守って来た伝統的考えではないな……。
 

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月29日(月)00時57分22秒
返信・引用
  林さんの紹介で購入した本とその他数冊を読んでいる最中です。
久しぶりに、文章がわき出てくる感覚になっています、笑
 

邪馬台国

 投稿者:kituno  投稿日:2007年 1月28日(日)18時34分8秒
返信・引用 編集済
  ここは、いつもいろいろな話題が飛び交っていて、面白いですね。(*^_^*)

kitunoがついていける話題としては、「邪馬台国」
私は相変わらず「邪馬台国東遷説」支持派です。神武天皇の東遷こそ、九州勢力の大和への進出と考えています。

昨年那智に行って、神武天皇一行が上陸した那智勝浦付近の海岸や、熊野川に沿った道を遡ってみて、『記紀』に書かれている伝承にはやはり「事実」が存在したのではないか、と確信を持ちました。

邪馬台国は宮崎から大分にかけてあったと思います。
神武天皇に先立ち大和に降臨した天照国照彦天火明櫛玉饒速日命も、九州から出発しています。

しかし、大和に文化圏がすでに存在していたのも確かです。
それは纒向遺跡が立証しています。

纒向での勢力については、まだモヤモヤしていて整理がつかないのですが、かつては「天照国照彦天火明櫛玉饒速日」の勢力圏と考えていましたが、今は「出雲族と同じ文化圏」ではなかったか、などと漠然と考えています。

http://www.geocities.jp/kituno_i/

 

議員内閣制下の代表

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月22日(月)22時00分26秒
返信・引用 編集済
  国民の代表が国民投票で選ばれたのなら、国民総意のトップでしょうね。
形の上では天皇を凌ぐ権力をもちます。王制を崩壊させたも同然。
ですが、議員内閣制下の現総理大臣は、共産党や社民党を除く、地方から選ばれた自民党議員の中からの党内選後の総裁であり、直接国民の総意を受けてはいないです。
 

独裁を許さない日本

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月22日(月)21時58分55秒
返信・引用
  >日本の王朝は現在進行形で定義が更新中という事

たぶん、そうだと思います。
今の日本は共和制か王制かと問われれば、どちらかといえば王制でしょう。
独裁者を作らない民主国家ではないでしょうか。
総理大臣にブッシュ大統領のような強権は発動できないでしょう。
 

きんたろうさん

 投稿者:林権助  投稿日:2007年 1月22日(月)20時52分7秒
返信・引用
  軍事史や軍事研究では旧陸軍・海軍大学校の教科書や英・仏・米軍の翻訳を元にしています。
つまりその兵器や戦術を作った国や組織の定義に従うべきという事です。
王朝の意味がその言葉を作った国や人物の意味に従うとすれば
便宜的に中国の王朝が王朝の定義のモデルになるべきでしょうか?
万世一系を否定しないとすると日本の王朝は現在進行形で定義が更新中という事になりますよね
もしくは明治から昭和の敗戦までの大日本帝国を定義すべきか
もしくはそれ以前のいずれかの期間をチョイスするか
期間を定めればそれ以外は王朝ではないもしくは別の王朝であるということになりませんか?

易姓だとちょっと違いますね、スコットランドの大貴族チェンバレン家の方が最近は学者のをやってますがこの方がこのへんを講義でやってまして
シナの易姓革命は旧姓の抹殺に主眼が置かれ、ヨーロッパのそれは交代だと話していました
つまりドイツ語姓からイギリス姓に変わるだけです。ヨハンがジョン変わるという事で、ジョンがポールにはなりません

マホメットの子孫だといってるのはハシミテ家ですね、アラビアのロレンスに担がれたファイサル王子がここの出ですねイラク王家になりましたが直ぐ革命で潰れましたね
ファイサルは三国志の劉備のような立場と人物だと考えたほうがいいでしょう
メッカ太守の息子でスンニ派の武装組織を率いて戦いの末イギリスからイラク国王に据えられた人物です。
ファイサルを劉備、ロレンスを孔明だと考えるとなんとなく当てはまります。
ただしハシミテ家は自称末裔なので名門だと紹介しては・・・ 証拠は無いですし
 

菊池さん

 投稿者:林権助  投稿日:2007年 1月22日(月)20時46分48秒
返信・引用
  ヨーロッパのポピュラーな王家相続のサリカ法は長子相続推奨ですから
それに男系を科学的根拠以外で言うと女性蔑視だと思われるかもしれませんし
ヨーロッパの男系はロマノフとブルボン王家という革命を食らった二大王家が男系なのでイメージ悪いですね
特にロマノフは女帝エカテリーナを非難して長子相続から男系に切り替えて革命を食らいましたから
ヨーロッパの男系は頑迷の象徴的なところがあるかもしれません
ただ馬の骨が王家を乗っ取るかという事になれば非難が出るでしょうから
実際馬の骨との子供は否定されてますね
 

hnさん

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月22日(月)00時26分47秒
返信・引用 編集済
  お大事になさってくださいね。

以前に書いたことがあるような記憶なのですが、今住んでいるところから引っ越すなら何と言っても鎌倉に住みたいと思っています。
(江ノ電沿線なら更によい)
これだと、私の住んでいるところからだと、東遷ではなく南遷になります。

などと思いながら新聞を見ていたら(1週間のまとめ読みなんです、^^;;)、頼朝が鎌倉を選んだのは、この場所が要害だったからではなく先祖からの土地だったからであるという記事がありました。
新聞記事だから仕方がないかと思ったのですが、この説は特に目新しいものではないので、ちょっと違和感を覚えました。

で、更に新聞を整理していたら、宿場町は鉄道の通るのを避けていて断ったというのは、根拠のない嘘であるという記事が載っていました。
この手の話しは我が町だけの事かと思っていたのですが、同じような内容の話しは全国にあるそうなのです。

全国の学校の郷土史で、我が町に鉄道がないのは、明治時代に鉄道の通るのを反対したからであるというような内容が、歴史的事実として教えられている事が問題であるとありましたが、確かにその通りだと思います。
 

皆さん、本年もよろしく

 投稿者:hn2602  投稿日:2007年 1月21日(日)20時26分2秒
返信・引用
  お願い申し上げます。

昨年11月末から、12月にかけて私の勤務先の介護老人保健施設でも、ノロウイルスが出たため、時間がとれず、おまけに、Yahoo!掲示板の邪馬台国トピに書き込んでそのレスも必要だったため、他の掲示板にはなかなか、立ち寄れませんでした。
今日ようやく、きんたろうさんのところの掲示板をにアクセスできました。

実は、自宅を売却(3月末引渡し)したので、荷物などの処分にも時間を取られています。
おまけに、書籍が、段ボール箱入り状態で、あちこちに分散し、探せ出せない状況です。
こちらでの邪馬台国論争にも、時間が許せば、参加したいところですが・・・。
 

貴重な論客

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月19日(金)15時12分24秒
返信・引用 編集済
  学者は畿内説一辺倒だとはいっても、ネット界ではなぜか九州説支持者が多いです。
九州説邪馬台国東遷説がドラマチックなんですよ。
畿内説Minstrel さんは貴重な論客かと。
 

自己レス

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月19日(金)15時11分12秒
返信・引用
  まぁ、だからといって、九州王さんのご意見が無くなるというのも寂しい限りでもありますし、九州説としての意見を聞く事は大いに歓迎する所であります。  

東遷

 投稿者:Minstrel  投稿日:2007年 1月19日(金)14時38分50秒
返信・引用 編集済
  皆さんこんにちは。邪馬台国畿内説支持者です。

> 住吉神社にしても博多の住吉神社が最古の住吉神社であることからして、九州から近畿へ権力の移動があったことは明白だと思うんですが。

大昔(それがいつかは分からない)、文化や民族の移動が、西→東という流れであったのは間違いないと思います。
九州の方が大陸に近いから大陸文化を受けやすいというのは当然だし、大陸から来た人が九州あたりに上陸しやすいのも当然でしょう。
それらの文化や人が九州にだけ留まるのではなく、やがてあちこち(つまり東)へ散らばるのもまた自然なことで、容易に想像がつきます。

だから、九州の地名が近畿などにあった場合、(偶然の可能性もありますが)
どちらかが真似てつけたとすれば、多くの場合は西→東となるでしょう。

これらのことから、九州から近畿へ移る流れが想像出来るわけです。

しかし、これをもって「邪馬台国東遷」「邪馬台国東征」というのは早計だと思います。
有力部族の東遷があった可能性は相当に高いと思いますし、それは複数回(たぶん多数)だと思います。
しかしその多くが邪馬台国登場以前であれば、邪馬台国は九州から来た部族が近畿に作った国かもしれません。

東遷の時期が分からないければ、邪馬台国と関連づけることは困難です。
つまり、九州→近畿の流れがあることと、邪馬台国の所在とは直接関係ないと言えるのえではないでしょうか。
九州説・畿内説のどちらをも補強する材料にはならないように思います。
 

邪馬台国は永久に解らないとは嘘だと思います。

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月19日(金)08時38分57秒
返信・引用 編集済
  方角や日数は物ではないので確かめようがないという事です。
自然科学で確証された箸墓の築造年代で、魏志倭人伝に描かれた邪馬台国がどこを想定していたのか求めるという事です。平原の通説年代は?
学者は畿内だとほぼ断定しているのが現状。私だけの意見ではありません。
 

逆転

 投稿者:九州王  投稿日:2007年 1月18日(木)22時07分44秒
返信・引用
  魏志倭人伝の距離や方角が当てにならないと主張している畿内説の方が、墓の大きさに関してだけは正しいと主張されるのは滑稽に感じますが、径百余歩の意味がどうなのかは本物の卑弥呼の墓が見つかったら判るでしょう。
箸墓古墳卑弥呼墓説は邪馬台国近畿説を前提に成り立っているので、邪馬台国が近畿説の根拠にはなりません。
話が逆転していますよ。

住吉神社にしても博多の住吉神社が最古の住吉神社であることからして、九州から近畿へ権力の移動があったことは明白だと思うんですが。
 

王朝

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月18日(木)21時53分58秒
返信・引用 編集済
  という用語が同じでも、ヨーロッパと日本では歴史の接点が全くありませんでしたから、事象として似た部分があったとしても、それを同じ用語で現すのは無理がありすぎると思っています。
というか、支那や朝鮮半島のように、物理的距離がヨーロッパと比べて格段に近くても、王朝という用語が同じ内容を意味しているわけではありません。

相続などはその典型で、日本の場合は男子の系譜が最終的にメインの系譜として表現されるわけです。
とは言っても、場合によっては「婿入り」もあったわけで、婿入りのための条件として、婿さん自身の父親や祖父などの近い血統で天皇だった必要があったわけです。

ヨーロッパの場合だと、婿さんとは他国の王家に生まれた男子である場合が典型なのですが、そうなると婿さんをとった場合、その王朝が継続していても表記上は○○○王朝から△△△王朝となってしまうわけです。
「易姓革命」のような感じでしょうか??

ヨルダンだったかの王家は、マホメット(最近はムハマンドと表記するらしい??)の末裔であるらしいので名門だとありました。
また、パレスチナあたりの話しだったと思いますが、ある名字(思い出せない)はキリストの頃から続いているものであると、曾野綾子先生が書かれていたはずです。
(確認してみます)
 

ないものねだり

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月17日(水)22時58分13秒
返信・引用
  >国連会議の演説で万世一系皇紀2600年とかいったら、世界では頭がおかしいとみなされるでしょうから、難しい問題ですね

ただ、物珍しさで重宝がられるとは思いますよ。
ひょっとしたら、外国の方が「男系守れ論者」が多っかったりしてね。
 

王朝 時間の部分

 投稿者:林権助  投稿日:2007年 1月17日(水)19時02分29秒
返信・引用 編集済
  えーと、時間の問題が抜けてる気がするのですが
王朝と言うのは、王一人ではなく。連続した物を指すのではないでしょうか?
この点はいかがお考えですか?

日本の場合相続は男系ですが、イングランド王室のサリカ法に従えば長子相続なので長男ないし長女です。
しかし神武天皇云々を言うのは日本人だけですね
イングランド王室は日本皇室とならび最も古い二つの王室ですが
現在のウィンザー家統治は1952年であって、それ以前はサックス・ゴーダ家でドイツ系です。
断絶ではなく、交代による統治存続とみなされているんですね
日本も同じでしょう、国連会議の演説で万世一系皇紀2600年とかいったら、世界では頭がおかしいとみなされるでしょうから、難しい問題ですね
つまり支配地域と特定の手続きを守る事というのはあるんではないでしょうか?
日露戦争辺りで負けて太平洋の南洋諸島の自治領で存続していても、世界的には日本皇室は無いものとみなされていたかもしれません
 

公式記録基準値だけを信用すればですが

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月16日(火)20時46分9秒
返信・引用 編集済
  径百歩は公式記録基準に基付けば145m。
それ以外は証拠基準を無視した解釈になってしまいます。墓を破壊する訳はないしそのような記録もないので、現在あるもので一番近い大きさを検討しなければなりません。選択は限られます。
それと平原は箸墓と違って円形部分がありません。
 

物証しか信用しないならばですが

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月16日(火)20時44分12秒
返信・引用 編集済
  >箸墓古墳は前方後円墳。どうも時代も違うようです。

ホケノC14測定から土器編年で250から260年代でほぼ決着がついているのでは。
ですから九州で年代が一致した百mを超える大きな墓が無ければアウトです。
 

卑弥呼の墓

 投稿者:九州王  投稿日:2007年 1月16日(火)19時39分1秒
返信・引用
  箸墓古墳の被葬者が卑弥呼であるとする主張は、邪馬台国が近畿に存在していたこと、そして大和政権は邪馬台国を受け継いだものとの理解のもとに、それを前提として成り立っている。
http://world-reader.ne.jp/time-slip/m-maeda051228.html

>両氏には厳しい現実だと思いますがね。

魏志倭人伝によると卑弥呼の墓は円墳、箸墓古墳は前方後円墳。どうも時代も違うようです。
北部九州には卑弥呼の墓ではないかとされる径百歩の円墳が多数あり、特に糸島には多くの古墳があり、中でも平原遺跡から発掘された内行花文鏡は世界一の大きさであるばかりでなく、卑弥呼が使っていたとされる歴史的に極めて重要な鏡である。しかもこのたびこの地域から発掘された大鏡、勾玉、太刀等が国宝に指定された。もっとも古い時代の国宝であり、極めて価値のあるものである。さらに、平原遺跡を中心にこの糸島には、弥生時代の王墓がいくつか残っている。

どこが厳しいのでしょう?
 

権威、神聖さなどの正統性

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月13日(土)08時34分5秒
返信・引用 編集済
  ににぎ尊の子孫で神武天皇の直系である事だと思います。

古田氏は、日本神話神武東征は九州王朝内の豪族一派が東征したものとしています。
近畿王家をににぎ尊からの分家扱いをしてます。という事は正統性を九州にもって行く為の手段なのかな……。
 

王朝

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月13日(土)00時28分16秒
返信・引用 編集済
  という場合には、規模ばかりではなく権威、神聖さなどの正統性も兼ね備えている必要があります。

そうでない場合だと、力を持っていた人物というのは、「丞相」なのかもしれないし、大兄の頃のように、何人もいる「王子(皇子)」の一人なのかもしれません。
あるいは、江戸時代における佐賀藩(一例です)程度の規模の藩主、あるいは九州王と呼ばれた大友宗麟みたいな場合なのかもしれませんよね。
 

戊辰戦争

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月13日(土)00時22分37秒
返信・引用 編集済
  の遺恨というと、会津と長州のことを聞きますが、実は彦根では水戸出身者だと名乗ってはいけないと言われた時代があったそうです、^^;;
この原因は、あの有名な??桜田門外の変によるものです。
水戸浪士(薩摩浪士も少しいました)が、井伊直弼並びに、その回りにいた武士達を斬り殺してしまったためだからです。

しかしながら、水戸出身者とは言っても、その殆どが非武士階級なので、水戸浪士とはあまり関係がないのですが。。。
というのは、水戸藩の場合は、将軍家の分家として新たに発足した藩だったために、外様大名のように地域に根ざした歴史を持っている訳ではなかったからです。
水戸家発足と同時に家臣を募集したようですから、水戸家の譜代の家臣がいる訳ではありません。
その上、将軍家の一族ですから、独自で軍事力を充実させる必要性は低いものだったのです。
そのために、特に武士を充実させる必要が低かったために、武士の絶対数が外様大名と比べて少ないようなのです。

それにしても、林さんは車の運転が上手なんですね!!
とは言っても、安全運転を心がけてください、(^-^)
今年も遊びに来てくださいね。
 

どの規模からが王朝か

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月12日(金)11時03分4秒
返信・引用 編集済
  難しい区別ですね。明確な定義がないからだと思います。

九州に居る本人は王朝の王だと思っていても、倭全体からみれば単なる首長だったりと。

はっきりしない場合、少数意見に掻き回されての混乱を避ける為に、
多数派の意見に従うのがベターかと思っています。
 

お参り

 投稿者:林権助  投稿日:2007年 1月11日(木)15時18分52秒
返信・引用 編集済
  無論、山形に来たからには羽黒でしょう!という事で
出羽三山神社三神合祭殿 なるものがあり、ここに行くと羽黒山・月山・湯殿山の三つすべてにおまいりした効果があるんだとか?
元々羽黒山は登るつもりだったけどご利益が本当にあるのだろうか?
疑わしいが・・・ 神様を疑っちゃいけないか?

羽黒までは車で、無論山形も車で来たのですが
乗ってる車はマツダのAZ-1です。改造しすぎて車検が通らないので今年限りです・・・
いい車なんですが、乗り心地が最悪で彼女を乗っけられない車ナンバーワンです。
(そのためにMR2-2000GTを買いました。)
今回もナビが約1時間20分の行程と出してるところを50分で到着しましたし
平均90キロ位で、コーナーを突っ込みながら走ってたりはしたんですが

8合目から石段をテクテク登りながらおまいりしてきましたが2000段以上ある石段を踏破したとき
体から湯気が立ち頭が磨耗して真っ白で何をお参りしたのか覚えてませんでしたw
皆様方の一年の健康とかを祈ったのは覚えてますがw

釣りはさすがに出来ませんでした('・ω・`)
 

遅れまして。おめでとうございます

 投稿者:林権助  投稿日:2007年 1月11日(木)15時14分56秒
返信・引用 編集済
  おめでとうございます。
予定通り山形で新年を過ごしました。
31日の昼に山形に行き元旦の夜には家路に着くという強行軍でしたが
年越しを温泉で過ごせてかなり息抜きになりました。

山形では鶴岡藩(酒井氏)新庄藩(戸沢)の藩士の子孫の方と会いました。
一人は歴史学者石井孝先生の弟子、今一人は昭和天皇の教師松田智雄先生の弟子です
お二人ともご年配の教授方です、まさか山形の旅館で顔をあわせるとは・・・

実は、なんと戊辰戦争の遺恨で二人とも仲が悪い!
方や秋田出身、方や東京出身(親が新庄)、何か関係があるのか?
http://www.city.shinjo.yamagata.jp/11syoukou/kankou/maturi_18/3_ukari/shiroato/siroato.html

調べてみたら戊辰戦争で奥羽列藩同盟に加盟しなかった新庄藩を鶴岡藩が焼き討ち
新庄城が落城して久保田まで藩主以下が非難するはめに・・・
鶴岡藩も佐賀藩以下の新政府軍にタコ殴りにあい隣同士なのに新政府に味方した新庄に遺恨が・・・

以前、農家の娘の親族が人上杉藩士の家の男と結婚に際し、米沢の上杉家統治時代に重税を掛けれられた遺恨を理由に反対するという騒ぎがありましたが
まあ、現実にあるんだなあと目の当たりにするとなんとも言えない感じでした。
関係の無い人間からすると無責任に「そんなことでいがむなよ」と無責任に言えてしまうものですがw

ネットもう少し出来ないと思ったんですが、ほかの娯楽を削った分だいぶ利用できる時間が増えました
 

Re: 九州王朝説の解説

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月11日(木)01時52分23秒
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  ウキで削除対象になっているとありましたので、早急に退散してきました、^^;;

個人的には、九州から近畿への移住(らしきもの)があった方にロマンを感じるのですが。。。

九州王朝説という文字をみて先ず感じたのは、「王朝」という用語に対する定義についてでした。
「王朝」という言葉は、皆がそれぞれファジーな捉え方をしていますから、正確に王朝を論ずるのは難しいですよね。
 

新年おめでとうございます

 投稿者:きんたろう  投稿日:2007年 1月 8日(月)20時33分41秒
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  平成19年も、既に一週間が過ぎてしまいましたね。
ちょっとだけ、ぼうっとしていだけのつもりだったのですが、あっという間の一週間でした。

今年の冬は暖冬のようです。
昨日は台風のような嵐だったようですが、この付近では穏やかな一日でした。
とは言っても、冬名物のインフルエンザや風邪の流行する時期ですから、体調の管理には細心の注意を払ってくださいね。

私も含めて、日々の生活を送る上で「やるべき事」が幾つもあるはずで、そのためには、ネットに向ける時間を(犠牲にするというのはオーバーですが、我慢するという意味で)割く必要があったりするわけです。
私としては、今年はネット比率をもう少し高めたいと思っていますが、基本はマイペースで行こうと考えています。

皆さんも、日々の生活を大切にした上でネットに参加されるよう希望します。
というわけで、本年もよろしくお願いします。
 

re.九州王朝説の解説

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月 7日(日)11時20分22秒
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  見てきました。
古田氏にせよ安本氏にせよ仮説を根拠にして説を組み立てています。

巻向で既に250〜260年代築造の径145m(百歩)を超えた墓が見つかっているという事実をどう受け止めるかです。仮説を創る前にね。

両氏には厳しい現実だと思いますがね。
 

そういえば、

 投稿者:菊池元宏  投稿日:2007年 1月 6日(土)22時03分47秒
返信・引用 編集済
  過去、どっかの霊能力者(名前は思い出せませんが)は邪馬台国東遷説を霊に語らせていましたが、
きっと、九州説でも古田武彦氏よりも安本美典氏を信用していたのでしょう。
命取りになるか。
昨今の学会を顧みるに、どうせなら白石さんに乗っかれば良かったのに。と思う自分。
 

九州王朝説の解説

 投稿者:九州王  投稿日:2007年 1月 6日(土)19時01分26秒
返信・引用
  とにかく一度読んでください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
 

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